
フランス・リヨンの絹織工・カニュの工房内部(19世紀)
クロワ=ルースの丘で家内工業の織機が並び、ジャカード装置の普及とともに絹産業が都市の成長を押し上げた。
出典:Photo by Jules Ferat, Frederick William Moller / Wikimedia Commons Public domainより
フランスの産業革命を代表する都市といえば、やっぱりリヨンです。古くから「絹の都」と呼ばれてきたこの街は、18世紀から19世紀にかけて織物産業を武器にフランスの工業化をリードしました。特に絹織物はヨーロッパ中で大人気となり、リヨンはまさにフランス産業革命のシンボル的存在だったんです。
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まずはリヨンがどうして織物産業の中心になったのかを見ていきましょう。地理的条件や歴史的伝統がしっかりと後押ししていたんです。
リヨンはローヌ川とソーヌ川が合流する場所に位置し、昔から交通と商業の要地でした。国内外との物流が盛んで、絹織物を広く輸出するには絶好の立地だったんです。「川が運ぶ経済の力」がリヨンを支えていたといえますね。
16世紀からリヨンはフランス王室公認の絹織物都市として栄えていました。その伝統が産業革命期にも生き続け、職人技と機械化が結びついて織物業がさらに発展していったのです。
代々受け継がれてきた織物職人の技術が豊富にあったのも大きな強み。そこに産業革命で登場した新技術が加わることで、リヨンは一気に工業都市へと進化していきました。
次に、リヨンの産業を支えた織物業と、そこに起きた技術革新を見ていきましょう。
1801年にジョセフ・マリー・ジャカール(1752 - 1834)が発明したジャカード織機は、リヨンの織物産業に大革命をもたらしました。複雑な模様を簡単に織れるようになり、生産効率も大幅アップ。「伝統工芸が機械化によって量産化」する転換点になったんです。
それまでリヨンの絹織物は貴族や富裕層のものが中心でした。しかし機械化のおかげで生産量が増え、庶民にも手が届く布が広がっていきました。これによってリヨンは国内外の市場を広げることに成功したのです。
織物産業はリヨンだけでなく、その周辺都市にも広がりました。染色業や機械工業も発展し、「繊維クラスター」として地域全体を支える産業基盤が形成されていきました。
最後に、リヨンが工業都市として発展するなかで、社会にどんな影響を与えたのかを見てみましょう。
リヨンの織物工業は繁栄した一方で、労働者の生活は過酷でした。低賃金や長時間労働が問題となり、1831年と1834年にはカニュ(絹織工)による大規模な蜂起が起こります。「産業革命は豊かさと同時に社会不安も生んだ」という象徴的な出来事でした。
工業化に伴ってリヨンは人口が急増し、都市としての規模を拡大。劇場や出版業など文化的な活動も盛んになり、フランス第二の都市としての地位を固めていきました。
リヨンでの織物産業の成功は、フランス全体の工業化を後押ししました。パリやリールなど他都市の発展にも刺激を与え、フランス産業革命の推進力となったんです。
こうして見てみると、リヨンは単なる地方都市ではなく、フランスの産業革命をリードした工業都市だったことがわかります。伝統ある織物産業が機械化で進化し、社会を大きく揺さぶったリヨンの姿は、産業革命の光と影を象徴していると言えるでしょう。
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