
ジョン・ケイ(1704 - 1779)の飛び杼
杼をレールで高速に往復させる仕組みにより横糸の通し作業を一人で可能にし、広幅織物の生産性を大きく高めた道具で、イギリスの産業革命を推し進めた初期の革新。
出典:Photo by Unknown author / Wikimedia Commons Public Domain Mark 1.0より
産業革命といえばイギリスが発祥地。では「その始まりはいつ?」と聞かれると、はっきり答えられるでしょうか。実は「18世紀半ば」とはよく言われるものの、具体的には繊維産業での革新が大きなきっかけでした。その先陣を切ったのが、ジョン・ケイ(1704-1779)による飛び杼(とびひ)」の発明だったんです。
この記事では、イギリス産業革命の始まりを理解するために、最初期の革新とその意味を掘り下げていきます。
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歴史上「産業革命が始まった」とされるのは18世紀半ばのイギリス。特に繊維産業での革新が重要なきっかけでした。
18世紀のイギリスは農業生産が安定し、人口が増加、さらに植民地貿易で資本が集まるなど好条件がそろっていました。そこに技術革新が重なり、「手工業」から「工場制機械工業」への移行が始まったのです。
当時のイギリスは羊毛や綿花の生産に適した環境を持ち、衣類需要の高まりとともに繊維業が経済の柱となっていました。この分野での効率化は社会全体に大きなインパクトを与えました。
ジョン・ケイが発明した飛び杼は、織布作業の効率を飛躍的に高めるものでした。杼(シャトル)を手で左右に渡す必要がなくなり、機械的に布を素早く織れるようになったのです。
これが「産業革命最初の発明」と呼ばれるゆえんです。
飛び杼は単なる作業効率化の道具ではなく、その後の発明ラッシュを引き起こす「引き金」となりました。
布を織るスピードが上がったことで、今度は糸が不足するという新しい課題が発生します。この課題を解決するためにジェニー紡績機や水力紡績機など次々と革新的な紡績機が誕生しました。
飛び杼は「次の発明を呼び込む発明」でもあったのです。
効率が上がる一方で、職人の仕事が奪われる不安も広がりました。ジョン・ケイ自身は反発にあい、家を襲撃されることもあったほどです。産業革命の進展が必ずしも歓迎されなかったことを物語っています。
飛び杼やその後の機械化により、家庭ではなく工場での生産が主流になります。結果的に女性や子どもも工場労働に従事するようになり、労働力のあり方そのものが変わったのです。
飛び杼を発端とした技術革新は、その後のイギリス社会を大きく塗り替えていきました。
単に新しい道具が生まれたというだけでなく、人々の働き方や暮らし方、そして国全体の姿そのものにまで影響を与えたのです。
18世紀後半になると、ジェームズ・ワットによる蒸気機関の改良が進みました。
それまで水車や人力に頼っていた織機や紡績機に、強力で安定した動力を供給できるようになったのです。
ここから産業革命は一気に本格化し、大規模な工場で機械を使って大量生産を行う「工場制機械工業」が確立しました。
つまり「蒸気と機械」の組み合わせが近代工業の扉を開いたということです。
19世紀に入ると、蒸気機関の力を生かした鉄道が次々と敷かれていきました。
鉄道網が広がったことで、人やモノの移動が格段にスピードアップしたのです。
その結果、繊維産業だけでなくあらゆる産業の規模が拡大しました。
工場で作られた製品は全国へ、さらには海外へも大量に輸送され、イギリスは「世界の工場」と呼ばれるまでになったのです。
イギリスで始まった産業革命は、やがて国境を越えて広がっていきました。
フランスやドイツといったヨーロッパ諸国、さらにアメリカや日本にも波及していったのです。
単に技術が伝わっただけでなく、工場の仕組みや経済制度まで一緒に輸出されました。
こうして世界規模での近代化が進み、結果としてイギリスの発明が世界史を大きく動かしたといえるのです。
まとめると、イギリス産業革命の始まりは18世紀半ばの繊維工業、とくにジョン・ケイの飛び杼にありました。
そこから次々と新しい発明が生まれ、蒸気機関や鉄道と結びつき、やがてイギリスは「世界の工場」と呼ばれる大国へ。
飛び杼は近代への扉を開いた小さなきっかけであり、大きな歴史の始まりだったのです。
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