
フランス革命(1789年)と産業革命(18世紀後半〜19世紀)は、同じ時期に起こった歴史的な出来事ですが、一般的には別々のものとして語られることが多いですよね。フランス革命は政治の変革、産業革命は経済と技術の変革というイメージが強いため、それぞれ独立したものとして捉えられがちです。
しかし、実はこの二つの革命は深く結びついていたのです。フランス革命が産業革命に与えた影響、そして産業革命がフランス革命の後のフランス社会にどんな変化をもたらしたのか—さっそく見ていきましょう。
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18世紀後半、イギリスでは産業革命が本格化し、工場が次々と建設され、機械化が進んでいました。しかし、フランスではイギリスほど急速な工業化は進んでいなかったのが実情です。その理由として、次のような要因が挙げられます。
フランスでは封建制度が色濃く残っており、多くの農民が貴族に年貢を納める義務を負っていました。そのため、彼らが自由に経済活動を行うのは難しく、工業化に必要な労働力の移動が制限されていたのです。
当時のフランス政府は重商主義を採用し、国家が経済を厳しく管理していました。このため、新しい産業が自由に発展する環境ではなく、特にイギリスのような自由な市場経済が育ちにくかったのです。
産業革命には資本投資が必要ですが、フランスでは資本家の数が限られていました。フランスの銀行は主に国家や貴族に資金を貸し付けており、工場建設や鉄道の敷設に必要な大規模な投資が行われにくかったのです。
こうした理由から、フランスではイギリスのように産業革命が一気に進むことはなく、農業社会が根強く残っていました。
では、1789年のフランス革命は、フランス国内の産業革命にどんな影響を与えたのでしょうか? 実は、直接的・間接的に産業革命を後押しする要素がいくつもありました。
フランス革命の初期に、国民議会は封建的な身分制度を廃止しました。これによって、農民は貴族に縛られることなく、より自由に経済活動を行えるようになったのです。農業以外の仕事に就くことが可能になり、都市への人口移動が進み、工場労働者としての役割を担う人々が増えていきました。
フランス革命前の職人たちはギルド(職業組合)の厳しい規制のもとで活動していました。しかし、革命によってこの制度が廃止され、自由な競争が可能になります。これにより、企業の設立や新しい技術の導入が進み、フランスの工業化を後押ししました。
フランス革命の混乱を経てナポレオン(1769-1821)が台頭すると、フランスはヨーロッパ中と戦争を繰り広げることになります。この結果、軍需産業が発展し、製鉄や機械産業が成長。戦争のための鉄砲、大砲、軍服の生産が増え、工場が拡大しました。
特に軍需産業の発展は、後の鉄道建設や機械産業の成長につながる重要な要素だったのです。
19世紀に入り、フランスでも本格的に産業革命が進むようになります。この時、フランス革命がもたらした社会の変化が、産業革命をさらに加速させました。
革命後、貴族の力が衰え、都市部での商業や工業が活発化しました。人々は農村を離れ、工業都市(リヨン、パリ、リールなど)へと移動し、工場労働者として働くようになります。
フランス革命によって教育の機会が広がり、産業技術を学ぶ人々が増えました。ナポレオン時代には国立技術学校が設立され、技術者やエンジニアの育成が進みました。これが、フランスの工業化を支える重要な要素となったのです。
ナポレオン戦争後、フランスの銀行システムが発展し、産業への投資が増えました。特にクレディ・モビリエ(1852年設立)は、鉄道や工場への融資を行い、フランスの産業革命を支えました。
フランス革命は政治の変革でしたが、結果的に産業革命の進展を助ける環境を作ったことがわかります。
フランス革命の影響 | 産業革命への貢献 |
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封建制度の廃止 | 労働力の移動が自由になり、都市の工業労働者が増加 |
ギルドの解体 | 企業の設立が自由になり、新しい技術が導入されやすくなる |
軍需産業の発展 | 鉄鋼・機械工業が成長し、鉄道や工場の発展につながる |
教育の充実 | 技術者やエンジニアが育ち、産業の発展を支える |
銀行の成長 | 資本投資が活発化し、鉄道や工場建設が進む |
このように、フランス革命は直接的に産業革命を引き起こしたわけではありませんが、結果的に産業革命を加速させる環境を作り上げたのです。