イギリスで産業革命が始まった頃、日本は何時代?

産業革命期の日本の時代区分

イギリスで産業革命が始まった18世紀後半、日本はまだ江戸時代の真っただ中にあった。鎖国体制のもとで海外との交流は制限されており、技術革新が進む西欧と比べて、内向きの社会構造と農業中心の経済となったのである。 本ページでは、産業革命の世界的な時期区分や各地域の比較、日本の近代化への準備段階を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げレポートしていく。

イギリスで産業革命が始まった頃、日本は何時代?近代化に向けた準備期間を知ろう!

横須賀造船所(旧・横須賀製鉄所)の全景(明治36年)

横須賀造船所(旧・横須賀製鉄所)
幕末に創設された横須賀製鉄所が拡張されて造船所となった時期の姿で、ドックや機械設備が並ぶ近代工場群が見える。フランス人技師レオンス・ヴェルニーの導入した技術基盤を受け継ぎ、産業革命の技術受容と日本の近代工業化を象徴する拠点のひとつ。

出典:高島信義(著者) / Public domainより


産業革命といえば、18世紀のイギリスがスタート地点。でもその頃の日本はどうだったの?と疑問に思う人も多いと思います。答えは──まだ江戸時代。鎖国政策のもと、西洋の技術や産業革命の影響はほとんど直接入ってきていませんでした。ただし「何もしてなかった」わけじゃなく、幕末から明治にかけて、しっかり近代化の準備期間があったんです。その象徴が横須賀造船所でした。この記事では、イギリスの産業革命と並行して見たときの日本の姿を解説していきますね。



イギリスの産業革命と同時期の日本

まずは時代のズレを整理してみましょう。イギリスが機械化に突き進んでいた頃、日本はどんな時代を過ごしていたのでしょうか。


江戸時代の日本

18世紀半ば、イギリスで蒸気機関が登場して産業革命が加速する一方、日本は江戸時代の真っただ中。徳川幕府のもとで鎖国政策が取られ、海外との交流は長崎を通じた限定的な貿易に限られていました。世界が工業化へ進む中で、日本はまだ農業と手工業の国だったんです。


内需中心の経済

国内では米を中心とした農業経済が基本でしたが、都市の発展とともに商業や金融も発達。とはいえ大規模な機械工業は存在せず、職人の手仕事や地方の特産品生産が中心でした。


西洋知識の窓口「蘭学」

それでも、オランダを通じて医学や科学の知識が入ってきました。蘭学が広まったことで、西洋の技術に触れる小さな窓口はあったんです。これが後の近代化に大きく役立ちました。



幕末から明治へ、近代化の準備

次に、産業革命を経験していない日本が、どうやって近代化への準備を進めたのかを見てみましょう。


黒船来航の衝撃

1853年、ペリー艦隊がやってきて日本は開国を迫られます。ここで世界との距離を一気に突きつけられ、「自分たちも工業化しないと」と強く意識するようになったんです。


幕府の近代化政策

幕末の幕府は、欧米列強に対抗するために造船所製鉄所を建設し始めました。ここで導入された技術が、のちの産業革命のベースとなります。


明治維新と殖産興業

1868年の明治維新後、新政府は「殖産興業」を掲げ、国家主導で工場や交通インフラを整備。イギリスに遅れることおよそ1世紀、日本の産業革命が一気に走り出すんです。


横須賀造船所と近代化の象徴

日本の産業革命に向けた準備期間を象徴する存在こそが横須賀造船所でした。
ここは単なる工場ではなく、日本が「近代国家」へと踏み出す意志を示した拠点だったのです。


フランス人技師ヴェルニーの尽力

幕末の1865年、フランス人技師レオンス・ヴェルニー(1837 - 1908)の指導によって建設が始まりました。
最新の西洋技術を惜しみなく導入した造船所であり、これにより大型蒸気船を国内で建造できる体制が整えられたのです。


それは単なる施設の建設ではなく、日本が西洋列強に肩を並べようとする強い決意の表れでした。
まさに「西洋に追いつく!」という日本の本気度が形になった場所だったといえるでしょう。


技術者育成の場

横須賀造船所には付属の学校が設けられ、実践的な教育が行われました。
そこで多くの技術者や職人が育成され、知識と技術を身につけていったのです。


彼らは後に全国各地の工場や造船所に広がり、日本の工業化を支える人材として大きな役割を果たしました。
「人材の育成なくして近代化は進まない」という考えが、ここで実践されていたのです。


軍事と経済の両輪

造船技術は軍艦の建造だけでなく、商船の建造にも活かされました。
それは国防の強化と同時に、国際貿易の拡大にも直結したのです。


つまり軍事力と経済力を同時に伸ばすという、近代国家として欠かせない基盤が整えられました。
横須賀造船所は、日本の「強い国づくり」を支えたシンボル的な存在だったのです。



こうして見ると、イギリスで産業革命が進んでいた18世紀、日本はまだ江戸時代で準備段階にありました。でも幕末の黒船来航を経て横須賀造船所のような近代施設が生まれ、明治維新で一気に工業化へ。つまり「イギリスの産業革命の頃=日本の準備期間」だったんですね。