
「沈黙の追いはぎ」(1858)
下水処理の未整備で汚濁したテムズ川と、そこに棲む死神の渡し守を描いた風刺画。人口集中と衛生インフラの遅れが招いた都市問題を象徴。
出典:Punch Magazine / Wikimedia Commons Public domainより
産業革命の波にのって工業都市が急成長すると、人々の暮らしは一気に都市型へと変わりました。しかしその裏では、住宅不足や衛生の悪化、さらには犯罪の増加といった深刻な問題が噴き出しました。特にロンドンではテムズ川の大悪臭が社会問題となり、都市の限界を突きつける象徴的な出来事となったのです。ここからは、産業革命後の都市問題とその背景を詳しく見ていきましょう。
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人口が爆発的に増えた都市では、最も深刻だったのが住宅の不足でした。狭い土地に労働者がひしめき合い、環境は悪化していきます。
都市部には急ごしらえの安アパートが立ち並び、劣悪な住宅環境が広がりました。狭い部屋に複数家族が同居する「過密住宅」は珍しくなく、これが都市の衛生状態の悪化をさらに進めていきました。
人口集中で住宅の需要は急増し、家賃は高騰しました。低所得の労働者は家賃の支払いに苦しみ、住環境はますます悪化していきます。
産業都市は急成長に行政が追いつけず、道路や公園といった公共空間がほとんど整備されませんでした。そのため、都市は人々を収容するだけの空間となり、快適さとはほど遠い状況が続いたのです。
人口の急増とインフラの遅れは、都市の衛生環境を深刻に悪化させました。特にロンドンではテムズ川の汚染が決定的な問題となります。
都市の急成長にもかかわらず、下水道の整備は追いつかず、汚水や生活ごみはそのまま川へと流されました。飲み水の水源が同時に汚水の排出口でもあったのです。
1858年の夏、猛暑によって汚染が極限に達した「テムズ川の大悪臭」は、議会の審議すら妨げるほどの異常事態でした。鼻を突く悪臭はロンドン市民の健康を脅かし、公衆衛生の改善が急務であることを示しました。
不衛生な環境はコレラや腸チフスといった伝染病を都市に蔓延させました。特に19世紀前半のコレラ流行は甚大な被害をもたらし、衛生改革運動を加速させるきっかけとなりました。
人口の集中と貧困の拡大は、都市に新しい社会不安をもたらしました。急速に成長する都市は、人々に仕事やチャンスを与える場である一方、格差や生活の乱れをも生み出し、さまざまなトラブルが広がっていったのです。
景気の変動で失業が増えると、生活困窮者は犯罪に手を染めやすくなりました。特にスリや強盗、酒場での暴力事件などは都市の日常的な問題となったのです。
さらに、家族を養えない状況に追い込まれた人々が「仕方なく」非合法な手段に頼るケースも多く、孤児や浮浪児が小さな盗みを働く姿も珍しくありませんでした。こうした背景から都市貧困と犯罪は切り離せない関係にあると考えられるようになったのです。
都市の拡大に警察や司法制度が追いつかず、犯罪の取り締まりは困難を極めました。「都市は富と犯罪の温床」というイメージすら定着していきました。
加えて、街灯や防犯設備が整っていない地域では夜道の危険が増し、住民は常に不安を抱えて暮らしていました。裁判制度もまだ整備段階にあったため、軽犯罪が野放しになりやすく、市民の求める安心と治安当局の対応の間には大きな溝があったのです。
こうした都市問題を受け、労働法の整備、警察組織の強化、公衆衛生の改善といった対策が進められました。つまり、都市問題は同時に近代国家の制度改革を推し進める原動力ともなったのです。
また、慈善団体や宗教団体も孤児救済や教育活動に乗り出し、後に公的な社会福祉制度へとつながっていきました。社会の不安が強かったからこそ、より安心できる環境をつくろうとする動きが加速し、都市は単なる労働の場から「人々が暮らしを築く共同体」へと変わり始めたのです。
産業革命後の都市は、急成長の裏で過密住宅や衛生の悪化、犯罪増加といった深刻な問題を抱えていました。テムズ川の大悪臭はその象徴であり、近代都市が抱える課題を突きつける出来事だったのです。
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