
黒船来航(嘉永6年 1853年)
江戸湾に入ったペリー艦隊を描いた瓦版。蒸気軍艦の出現が開国を迫り、日本の近代化と工業化が動き出す産業革命のきっかけであった。
出典: Unknown author / Wikimedia Commons Public domainより
日本の産業革命は、欧米に比べて少し遅れてやってきましたが、その進み方はものすごく急激で、まさに「駆け足の近代化」でした。その大きなきっかけとなったのが明治維新と殖産興業という国家政策、そして忘れてはならないのが黒船来航による衝撃です。鎖国から一気に開国へと転じた日本は、急ピッチで産業を育て、近代国家への道を走り出したんです。
|
|
まず、日本の産業革命の物語は黒船から始まります。
1853年、アメリカのマシュー・ペリー提督(1794 - 1858)が率いる黒船艦隊が浦賀に来航。最新の蒸気船と砲艦外交に、日本人は大きな衝撃を受けました。「このままでは列強に飲み込まれる」という危機感が、一気に高まったんです。
日米和親条約、日米修好通商条約を通じて日本は開国。海外からの技術や製品が流れ込み、自国の工業力の遅れがはっきりと見えてしまいました。
黒船来航は、日本に「近代化を進めなければ」という明確な動機を与えました。これが後の明治維新、そして産業革命への加速装置になったんです。
次にやってくるのが明治維新と、それを支えた殖産興業政策です。
1868年の明治維新で新政府が誕生。「富国強兵」をスローガンに掲げ、産業と軍事の近代化を一気に進めました。
政府は官営工場を全国に建設しました。製糸工場、造船所、鉱山など、国家がリードして近代産業の基盤を整えたんです。後にこれらの工場は民間に払い下げられ、日本の産業発展の核になりました。
1872年には新橋~横浜間の鉄道が開通。郵便制度や電信網も整備され、全国がつながるインフラができあがっていきました。「日本全体がひとつの市場」として動き出したのです。
最後に、日本産業革命がどんな特徴を持って進んでいったのかを見てみましょう。
日本の産業革命の先頭を走ったのは製糸業でした。 世界市場での需要が高い生糸を大量生産し、外貨を稼ぐ産業として急成長したんです。
工女たちが活躍した富岡製糸場はその象徴であり、日本の近代化を支えた最初の一歩でした。
繊維産業の利益を基盤に、やがて造船・製鉄・兵器産業といった重工業が発展しました。 その結果、日本は短期間で「軽工業の国」から総合的な工業国へと変貌を遂げたんです。
軍需を背景にした発展は、国際社会での存在感を一気に高める力にもなりました。
西洋の技術や制度を積極的に導入しつつも、日本独自の文化や伝統を組み合わせる工夫もされました。 たとえば洋式建築に和の要素を取り入れるなど、単なる模倣ではなく日本式の近代化が進められたんです。
これこそが、他国とは異なる日本の特徴的な発展のあり方でした。
つまり日本の産業革命のきっかけは、黒船来航による衝撃と、明治維新後の殖産興業という国家的な後押しにありました。急速に西洋の技術を取り入れつつ、日本独自の道を模索したことで、近代国家への変身を成し遂げたんですね。
|
|