ロシアにおける産業革命のきっかけとは?

ロシアの産業革命は、イギリスやフランス、ドイツと比べるとかなり遅れて進行しました。19世紀の大部分において、ロシアは農業中心の封建社会であり、産業化が本格化するのは19世紀後半になってからです。それでも、最終的にはロシアも工業国へと変貌を遂げ、20世紀には世界の大国の一つへと成長しました。では、ロシアの産業革命を引き起こしたきっかけは何だったのでしょうか? その要因を詳しく見ていきましょう。

 

 

遅れた原因|ロシアの農奴制と経済構造

ロシアの産業革命が遅れた最大の理由は、農奴制の存在でした。19世紀前半のロシアは、ほとんどの国民が農奴(地主に縛られた農民)として働いており、経済は依然として農業中心でした。

 

封建制度の影響

ヨーロッパの他の国々では、産業革命が進むにつれて農民が都市に移動し、工場で働くようになりました。しかし、ロシアでは農奴が土地に縛られていたため、労働力が自由に移動できず、工業化が進みづらかったのです。

 

この状態を変える大きな転機となったのが、1861年の農奴解放令でした。

 

農奴解放令(1861年)と労働力の移動

アレクサンドル2世(1818-1881)は、ロシアの経済発展のためには農奴制を廃止し、自由な労働市場を作る必要があると考えました。そこで1861年に農奴解放令を発布し、農民たちに自由を与えたのです。

 

都市への人口流入

農奴が解放されたことで、彼らは都市へ移動し、工場で働くようになります。これは、西ヨーロッパの産業革命と同じ流れを生み出し、ロシアでも本格的な工業化が始まるきっかけとなりました。

 

ただし、解放された農民の多くは土地を買うための借金を背負わされ、貧困から抜け出せない状況が続きました。それでも、労働力の流動化が進んだことは、ロシアの産業革命にとって大きな一歩でした。

 

複数要因による工業化の加速

産業革命を進めるには、交通インフラの整備が欠かせません。ロシアでは、19世紀後半から鉄道建設が急速に進み、工業化の基盤が整えられました。

 

シベリア鉄道の建設(1891-1916年)

特に重要だったのが、シベリア鉄道の建設です。ロシアは広大な国土を持っていましたが、当時の交通手段ではモスクワから極東へ物資を運ぶのに数ヶ月もかかることがありました。これを解決するために作られたのが、ロシアを横断するシベリア鉄道でした。

 

この鉄道の完成により、以下のようなメリットが生まれました。

 

鉄道完成のメリット
  • 鉄道により、工業地帯と資源地帯を効率的に結ぶことができ、経済の活性化に繋がった。
  • 鉄道によって労働力の移動が容易になり、工業労働者が増加した。
  • 鉄道により輸出入の効率が向上し、貿易が発展した。

 

鉄道が整備されたことで、ロシアの工業化は一気に加速しました。

 

外資の導入と金融システムの発展

ロシアの産業革命は、他の国とは違い外国資本の導入が重要な役割を果たしました。特に、フランスやイギリスの銀行が鉄道建設や工場設立に投資し、ロシアの工業化を支えました。

 

セルゲイ・ウィッテの経済政策

ロシアの工業化を強力に推進したのが、セルゲイ・ウィッテ(1849-1915)です。彼は19世紀末にロシアの財務大臣として積極的な工業化政策を実施しました。

 

ウィッテの政策のポイントは以下の通りです。

 

ウィッテの政策
  • 鉄道網の拡大により、国内市場の活性化を図った。
  • 外資を積極的に導入し、産業の発展を促進した。
  • 金本位制を導入し、通貨の価値を安定させることを目指した。

 

この政策によって、ロシアは19世紀末から急速に工業化が進み、鉄鋼・石炭・機械産業が成長していきました。

 

ロシアの産業革命を引き起こした要因のまとめ

ロシアの産業革命は、19世紀後半にようやく本格化しました。そのきっかけをまとめると、以下のようになります。

 

要因 具体的な内容
農奴解放(1861年) 労働力が都市へ移動し、工業化の基盤が整う
鉄道の発展 シベリア鉄道の建設により国内市場が拡大
外資の導入 フランス・イギリスの資本が工業化を後押し
セルゲイ・ウィッテの政策 鉄道・工業化を国家主導で推進

 

産業革命の影響とその後

ロシアの産業革命は、経済の発展をもたらしましたが、同時に社会の矛盾も生みました。

 

産業革命期の社会の矛盾
  • 都市における労働者が増加したが、過酷な労働環境や低賃金が社会問題となった。
  • 工業化により新たな労働者階級が形成され、社会変革を求める革命運動が盛んになった。
  • 経済が発展する一方で、専制政治の矛盾が明らかになり、政治的な不満が高まった。

 

こうした問題が積み重なり、最終的に1917年のロシア革命へとつながっていきます。

 

このように、ロシアの産業革命は、農奴解放、鉄道の建設、外資の導入、政府の政策など、さまざまな要因が絡み合って始まりました。しかし、急激な工業化の裏で社会の不満が高まり、それが後の革命へとつながっていったのです。