
蒸気機関による脱穀作業(1899年)
可搬式蒸気機関と脱穀機を請負で持ち回り使用し、農繁期の労働を機械化した。農村の生業が共同作業中心から機械と外部サービスへ移る変化を示している。
出典: Lands Department, Survey of Lands Branch, Photographic Branch / Wikimedia Commons Public domainより
産業革命というと、どうしても工場や都市のイメージが強いですよね。でもその大きな変化は農村社会にも直撃しました。農業のやり方がガラリと変わり、人々の暮らしや働き方まで大きく動いたんです。その象徴が蒸気機関による脱穀。ここから農村の人々が都市へ流れ出し、工場労働者へと転身していく流れが生まれました。
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まずは農業そのもののあり方が、産業革命によって根本から変わりました。
従来は人力や家畜の力で行っていた脱穀作業が、蒸気機関を動力とした機械によって一気に効率化されました。これまで何日もかけて行っていた作業が数時間で終わるようになり、農作業の労働力が余る状況をつくり出したのです。
収穫量が増え、安定して市場に供給できるようになったため、農村は自給自足から商業的農業へとシフトしていきました。農産物が「売り物」として扱われるようになったんです。
機械化の導入には資金が必要だったため、小規模農民は土地を手放し、大規模地主や資本家が農地を集約する流れが進みました。これも農村の構造を大きく変えたポイントでした。
農村で余った労働力は、やがて都市へと流れ出していきました。これが産業革命期の人口流出です。
農業に従事できない人々は、新しくできた工場で働くために都市へ移り住みました。マンチェスターやバーミンガムといった工業都市は、この人口流入によって急激に大きくなったのです。
若くて働き盛りの人々が都市に出ていったため、農村には高齢者や子どもが残り、地域社会が弱体化していきました。農村の人口減少は、都市の膨張と表裏一体だったのです。
農村の暮らしは自然のリズムに沿ったものでしたが、都市に移った人々は「工場の鐘」に合わせた時間管理の世界に入っていきました。日常のリズムそのものが変わっていったのです。
最後に見ておきたいのは、農村から都市へ出た人々が「労働者」として新しい身分を得たという点です。
工場に集まった人々は賃金労働者として扱われるようになり、自分の土地や農業から切り離された存在となりました。ここで「労働者階級」が確立していくんです。
都市の中で資本家と労働者という対立構造が強まるとともに、農村から移動した人々も労働者階級の一員となっていきました。農村人口の流出が近代社会の階層構造を形づくったのです。
農村はもはや「家族が暮らす場」や「食料を生み出す場」だけではなくなりました。
都市に向けて人々を送り出す「労働供給源」としての役割を担うようになったのです。
多くの若者が職を求めて都市へ移り住み、工場や建設現場で働くようになりました。
その結果、農村は都市の成長を下支えする存在となり、両者は切り離せない関係へと変化していったのです。
農業の担い手が減ったことで農村の姿は大きく変わりましたが、その一方で都市と農村が人の流れでつながり、社会全体の動きが加速しました。
まさに農村社会は、都市の発展と運命を共にする存在へと姿を変えていったのです。
産業革命は農村の暮らしを根底から変え、余った労働力を都市へと押し出しました。蒸気機関による脱穀が象徴するように、農業の効率化が農村社会を空洞化させ、その人々が工場労働者へと転換していったのです。こうして農村と都市のバランスは崩れ、新しい社会構造が生まれていきました。
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