
BASFルートヴィヒスハーフェン工場(1881)
合成染料と化学肥料の開発を軸に研究と生産が結びつき、化学工業が国家的規模で拡大した様子。第二次産業革命期のドイツが化学分野で覇権を握る土台となった。
出典:Photo by Robert Stieler / Wikimedia Commons Public domainより
第二次産業革命は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて起こった「新しい産業革命」です。第一次の主役が蒸気機関や繊維産業だったのに対し、第二次では電気・石油・化学工業が大きく発展しました。その中心に立ったのがドイツとアメリカ。特にドイツのBASFルートヴィヒスハーフェン工場は、化学産業の象徴的な存在だったんです。この記事では、第二次産業革命の中心国がどのようにして台頭したのかを見ていきましょう。
|
|
まずはヨーロッパで急速に力を伸ばしたドイツに注目してみましょう。
1871年にドイツ帝国が誕生すると、経済的にも政治的にもまとまりが出ました。統一後の安定した市場と国力が、産業の急成長を支えたんです。
特に強かったのが化学工業。染料や医薬品の分野で世界をリードし、「科学力こそ国力」を実感させるほどの存在感を持ちました。ここで活躍したのがBASFルートヴィヒスハーフェン工場。世界最大級の化学工場として、ドイツを工業大国に押し上げるエンジンとなったんです。
ドイツは大学や研究機関が強く、理論と実践を結びつけた教育制度がありました。優れた技術者や研究者が化学・電気の分野で次々と成果を上げ、産業の発展に直結しました。
次に見ていきたいのがアメリカ。広大な国土と資源を背景に、一気に産業大国へと成長しました。
1860年代の南北戦争を経て、アメリカは統一市場を持つ国へ。戦争をきっかけに鉄道や工場が発展し、その後の工業化を一気に加速させました。
アメリカの強みは大量生産。フォード社の自動車組立ラインに象徴されるように、効率を極めた生産方式で世界をリードしました。「スピードと規模で勝負する工業化」がアメリカ流だったんです。
さらに電気や石油を中心にした新しいエネルギー産業が発展。エジソンやロックフェラーのような人物が登場し、社会そのものを変えるような巨大産業が次々と誕生しました。
最後に、これら2つの国が産業革命の中心となったことで、世界にどんな影響を与えたのかを見てみましょう。
イギリスに続く形でドイツとアメリカが工業大国となり、世界市場をめぐる競争はますます激しくなりました。 植民地の獲得競争は経済活動と直結し、資源や市場を確保することが国家の生き残りを左右したんです。
「誰が世界の工場になるのか」をめぐる駆け引きは、外交や軍事政策にまで影響を与え、19世紀末から20世紀初頭の国際関係を大きく揺さぶりました。
化学や鉄鋼、機械の技術はそのまま軍事力にもつながりました。 強靭な戦艦や長距離砲、新しい爆薬などが次々に登場し、軍需産業は国家の最重要産業のひとつとなったんです。
産業の発展がそのまま軍備拡張につながり、列強は互いに一歩も引けない軍拡競争に突入しました。その延長線上にあったのが、まさに第一次世界大戦だったわけです。
ドイツとアメリカの台頭は、単なる経済成長にとどまらず、「第二次産業革命=新しい近代社会の誕生」を告げるものとなりました。 電気で照らされる都市、科学に支えられた生活、そして大規模工場で働く人々──まさに近代社会の原型がこの時代に形づくられたんです。
当時の技術革新や社会の変化は、そのまま21世紀の私たちの暮らしにつながっています。産業の発展が国際関係を動かし、人々の生活を根本から変えた。ここから「現代の世界史」が一気に走り出したんですね。
こうして見ると、第二次産業革命の中心国はドイツとアメリカでした。化学と電気で突き抜けたドイツ、大量生産と石油・電力で躍進したアメリカ──この二国が世界の近代化をリードし、20世紀の大国としての地位を固めていったのです。
|
|