
第二次産業革命は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、世界の工業化を大きく進めた歴史的な転換点でした。では、この時代に産業の中心となった国々はどこだったのでしょうか? 一言でいうなら、「イギリスからアメリカ、ドイツへと主役が移り変わった時代」ともいえます。
第一次産業革命ではイギリスが「世界の工場」として君臨していましたが、第二次産業革命ではアメリカとドイツが急成長を遂げ、世界の産業の中心が多極化していきました。それぞれの国がどのように工業化を進め、どんな分野でリードしていたのかを詳しく見ていきましょう。
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19世紀後半から20世紀にかけて、アメリカは驚異的なスピードで工業化を進め、第二次産業革命の中心国として台頭しました。
アメリカが産業革命のリーダーになった大きな理由のひとつが、大量生産方式の確立です。特に、自動車産業でヘンリー・フォード(1863-1947)が開発したベルトコンベア方式は、生産効率を飛躍的に向上させました。これによって、自動車が富裕層のものから、一般市民でも購入できる身近な存在へと変わったのです。
アメリカは広大な土地と豊富な資源を活かし、鉄鋼や石油といった重要産業を大きく発展させました。アンドリュー・カーネギー(1835-1919)が築いたUSスチールは、世界最大の鉄鋼会社となり、アメリカの鉄道や建築を支えました。また、ジョン・D・ロックフェラー(1839-1937)のスタンダード・オイル社が石油業界を支配し、自動車の普及とともに石油の需要も爆発的に増加しました。
トーマス・エジソン(1847-1931)が発明した白熱電球や、ニコラ・テスラ(1856-1943)が開発した交流電流システムなど、アメリカは電気技術の分野でも世界をリードしました。工場や家庭で電気が使われるようになり、都市の夜景が一変するなど、生活や産業のあらゆる面に影響を与えました。
ドイツは、19世紀後半に統一(1871年)を果たした後、国家の強力な支援のもとで急速に工業化を進めました。
ドイツといえば、やはり化学産業です。19世紀末には、世界の化学産業の約半分をドイツが占めていたともいわれています。合成染料、医薬品、化学肥料などの分野で画期的な進歩を遂げ、バイエルやBASFといった企業が世界市場をリードしました。
ドイツの鉄鋼生産は、1871年の統一後、爆発的に成長しました。これを支えたのがクルップ社で、鉄道や橋梁の建設、さらには軍艦や武器の製造でも大きな役割を果たしました。この時代、ドイツは「ヨーロッパ最強の軍事国家」としての地位を確立し、やがて第一次世界大戦へとつながる流れを生み出しました。
アメリカと並んで、ドイツも電気産業で大きな成功を収めました。特に、ジーメンスやAEGといった企業が登場し、電気機器や発電設備の開発を進めました。ドイツは工業だけでなく、科学技術の発展にも力を入れ、大学や研究機関で多くの発明が生まれました。
第一次産業革命では「世界の工場」として圧倒的な地位を誇っていたイギリスですが、第二次産業革命では少し事情が変わってきます。
19世紀後半になると、イギリスはアメリカやドイツの工業力に追い抜かれつつありました。その理由の一つが、新技術の導入の遅れです。イギリスの産業は、第一次産業革命の技術(蒸気機関や機械制工場)に依存していたため、電気や石油といった新技術の導入が遅れました。
とはいえ、イギリスは「世界の覇権国」としての地位をすぐに失ったわけではありません。ロンドンは依然として世界の金融の中心地であり、多くの国がイギリスの銀行を通じて資金を調達しました。また、広大な植民地を持っていたため、貿易ネットワークの拡大によって経済力を維持していたんですね。
第二次産業革命の中心国はアメリカ、ドイツ、イギリスの3カ国でしたが、それぞれの役割は大きく異なっていました。アメリカは大量生産と新技術で世界をリードし、ドイツは科学技術と重工業でヨーロッパの工業大国へと成長しました。一方、イギリスは以前のような「世界の工場」としての地位は失いつつあったものの、金融と貿易で依然として世界経済に影響を与えていました。
こうしてみると、第二次産業革命は「産業の中心が広がり、国際競争が激しくなった時代」ともいえるでしょう。そして、この競争が、やがて第一次世界大戦へとつながっていくことになるのです。