
産業革命は18世紀後半にイギリスで始まり、その後ヨーロッパ各国やアメリカに広がっていきました。しかし、ロシアは他の主要国に比べて産業化が大きく遅れ、結果的に「産業革命に失敗した」と評されることが多いです。
もちろん、ロシアでも産業化の動きはありましたが、それは極めて限定的なもので、イギリスやドイツ、日本のような急速な工業化には至りませんでした。では、なぜロシアは産業革命に失敗したと言われるのでしょうか? ここでは、「封建制度の存続」「国家主導の工業化の限界」「社会・政治の不安定さ」の3つの視点から、その理由を詳しく解説していきます。
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産業革命が成功するためには、労働力の移動や市場経済の発展が不可欠です。しかし、ロシアは19世紀半ばまで農奴制(農民が土地に縛られ、貴族に従属する制度)が続いており、これが大きな足かせとなりました。
イギリスやフランスでは、産業革命期に農業の機械化が進み、多くの農民が都市へ移動して工場労働者となりました。しかし、ロシアでは農奴制によって農民が土地に縛られていたため、自由に都市へ移動して工場労働者になることができませんでした。これにより、工業化に必要な労働力が確保できなかったのです。
ロシアでは1861年に農奴解放令が出されましたが、これはイギリスの産業革命が本格化してから100年以上も後のことでした。さらに、解放された農民たちは土地を購入するための借金を負わされ、多くが貧困のまま農村にとどまりました。そのため、都市部の労働人口はなかなか増えず、産業の発展が遅れたのです。
19世紀後半になると、ロシア政府は産業化を推進しました。しかし、その方法は他国とは異なり、主に国家主導の大規模プロジェクトによるものでした。
ロシアの工業化は、特に鉄道や軍需産業に重点が置かれました。たとえば、1891年に着工したシベリア鉄道は、ロシアの広大な国土を結ぶ重要なインフラでした。しかし、これらのプロジェクトは国の資金に依存しており、民間企業が育ちにくい環境でした。
イギリスやアメリカでは、繊維産業や生活用品の大量生産が進み、消費市場が発展しました。しかし、ロシアでは工業製品を買う中産階級がほとんど存在しなかったため、工業製品の市場が育ちませんでした。結果として、工場を作っても十分な需要が生まれず、産業全体が成長しにくかったのです。
ロシアは19世紀末から20世紀初頭にかけて、政治的・社会的に非常に不安定な状況にありました。この混乱が、産業革命の進行を妨げる大きな要因となりました。
20世紀初頭、ロシアは以下のような危機に直面しました。
これらの出来事により、ロシアの工業化は大きく停滞しました。特にロシア革命後、国の体制が大きく変わったため、それまでの工業化の流れが断ち切られてしまったのです。
ロシアが「産業革命に失敗した」と言われる理由は、大きく3つあります。
このように、ロシアの産業革命は進行したものの、西欧諸国に比べて遅れをとり、完全な成功には至らなかったのです。