
ロンドンの貧民街とコレラ流行を描いた風刺画(1852年)
産業革命期の都市部で不衛生な住環境と汚染水が蔓延し、コレラなどの感染症が労働者の短命要因となっていた。
出典: Photo by Wellcome Library, London / Creative Commons CC BY 4.0より
産業革命の話をするとき、よく「生活は便利になった!」ってポジティブに語られることが多いですよね。でも一方で、当時の都市に暮らす人たちには、とても深刻な問題もありました。そのひとつが「平均寿命の短さ」です。せっかく近代的な都市に集まってきたのに、なぜ命を縮めることになってしまったのでしょうか?この記事では、ロンドンの貧民街やコレラ流行といった具体的な事例をもとに、その理由をわかりやすくかみ砕いて解説します。
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産業革命によって人口が一気に都市へ流れ込んだ結果、街は急拡大しました。しかし、そのスピードにインフラ整備は追いつかず、人々の暮らしは深刻な問題を抱えていたのです。
工場の近くには人々が集まり、長屋のような狭い家に何家族も押し込められる状況が広がりました。窓も少なく、日差しも入らず、空気はよどんだまま。とにかく不衛生な環境で、病気が広まりやすかったのです。都市化は豊かさだけでなく、劣悪な居住環境という代償を伴ったんですね。
当時のロンドンでは、し尿や生活排水がそのままテムズ川に流されていました。飲み水の供給もそこからだったため、水質汚染は深刻。結果として、感染症が爆発的に広がる原因となりました。
石炭をガンガン燃やす工場からは、黒煙や煤が町全体に広がりました。呼吸器系の病気が多発し、特に子どもや高齢者の健康をむしばんでいきます。肺病や気管支炎が「都市病」と呼ばれるほどだったんです。
過密で不衛生な環境は、当然ながら病気を大流行させました。その象徴的な出来事が、19世紀のコレラ流行です。
1830年代以降、ロンドンをはじめとする都市でコレラが猛威をふるいました。汚染された水を通じてあっという間に広がり、何万人もの命を奪ったんです。発症から数時間~数日のうちに命を落とすことも珍しくなく、人々は恐怖に震えました。
特に深刻だったのがロンドンの貧民街。劣悪な環境の中で暮らす労働者や子どもたちは抵抗力も弱く、真っ先に犠牲となりました。貧困と病気がセットで命を奪っていったわけです。
その結果、都市部の平均寿命は地方よりも短い状況が続きました。たとえば19世紀初頭のロンドンの労働者階級では、平均寿命が30歳に届かないこともあったといわれています。これは農村部の寿命よりも明らかに低い数字でした。
こうした過酷な現実は、やがて都市のあり方を見直すきっかけとなりました。つまり「平均寿命の短さ」が、逆に社会を変える大きな原動力になったのです。
コレラ流行を受けて、公衆衛生改革の重要性が強く認識されるようになりました。下水道の整備やゴミ処理の改善、清潔な飲料水の供給といった仕組みが少しずつ整えられていったのです。
医師ジョン・スノウ(1813 - 1858)は、コレラが水を通じて広がることを突き止めました。この発見は近代疫学の出発点とされ、感染症対策の基礎となっていきました。
都市部の過酷な環境は労働者の命を削りましたが、その不満はやがて労働運動につながり、労働時間の短縮や児童労働の規制など、社会全体の仕組みを少しずつ改善する方向に導きました。命を守るための改革が「近代都市」をつくったともいえるのです。
産業革命期の都市は、表向きは近代化の象徴のように見えながら、その裏側では不衛生と病気が人々を苦しめ、寿命を大きく縮めていました。しかし、その苦しい現実こそが改革を生み、やがて現代の衛生的で安全な都市をつくる礎となったのです。
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