
マンチェスターの綿工場で働く子どもたち(1840年)
ミュール紡績機の下を掃除する子ども(スカベンジャー)と糸をつなぐ子ども(ピーサー)の様子を描いた同時代の挿絵。産業革命期の工場で横行した低賃金・長時間・危険作業という児童労働の実態を示す。
出典: Photo by Auguste Hervieu / Wikimedia Commons Public domainより
産業革命って聞くと「技術革新で便利になった!」ってイメージが強いですが、その裏側には深刻な社会問題が隠れていました。特に19世紀のイギリスでは、工場労働が生活の中心になると同時に、劣悪な労働環境や児童労働といった問題が人々を苦しめたんです。この記事では、当時マンチェスターの綿工場で働いていた子どもたちの姿を手がかりに、イギリス社会が直面した問題を一緒に見ていきましょう。
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産業革命の象徴ともいえる工場ですが、その中で働く人たちにとっては地獄のような環境が広がっていました。
工場では1日12時間以上、時には16時間もの労働が課されるのが普通でした。休憩もほとんどなく、暗いうちから日が暮れるまで機械を相手に働き続ける毎日。「人間が機械に合わせて動く」生活に変わってしまったのです。
綿工場の中は粉じんで空気が悪く、機械の音も耳をつんざくほど。ちょっと気を抜けば指や腕を巻き込まれる事故も頻発しました。安全装置なんてものはほとんどなく、労働者は常にケガや病気のリスクを抱えていたのです。
農村から都市に流れ込んだ女性たちも多くが工場で働きました。低賃金で長時間働かされ、家事や育児と両立できない状況に追い込まれることも少なくありませんでした。まさに家族全員が工場に縛られる時代だったんです。
特に深刻だったのが子どもたちの労働です。マンチェスターの綿工場は、その象徴的な舞台となりました。
子どもたちは小柄で機械の隙間に入りやすいため、糸が絡まったら機械を止めずに取り除く役を任されることが多かったのです。当然、指を失ったり命を落とす事故が後を絶ちませんでした。遊ぶどころか命がけで働くのが「子どもの日常」になっていたんです。
朝から晩まで働かされるため、学校に通う余裕なんてありませんでした。結果として文字を読めないまま大人になる子どもも多く、貧困の連鎖が続いていったのです。
工場主にとって子どもは安くて従順な労働力でした。大人の半分以下の賃金で雇えるうえ、弱い立場だから文句も言いにくい。こうして資本家は利益を最大化し、子どもたちは犠牲になっていきました。
ただ、この過酷な現実はやがて社会を変える大きな力となりました。労働者たちや改革者たちが声を上げ、少しずつ状況を改善していったのです。
19世紀初頭から段階的に工場法が制定され、子どもの就労時間制限や就学義務が整備されていきました。最初は不十分でも、少しずつ「子どもを守る」法律へと進化していったのです。
長時間労働や低賃金に苦しむ大人たちも立ち上がり、労働組合を結成して待遇改善を求めました。労働者の声が社会を動かす時代が始まったんですね。
児童労働を減らすために義務教育制度が整えられ、子どもたちに学ぶ機会が広がっていきました。これは単なる福祉政策ではなく、近代国家を支える「国民」を育てるための大きな転換点でもありました。
産業革命でイギリスは「世界の工場」と呼ばれるほどの繁栄を手にしましたが、その陰には過酷な労働環境や児童労働といった深刻な社会問題がありました。しかしその苦しみが改革を生み、労働法や教育制度の発展につながったからこそ、今の社会の基盤が築かれたともいえるのです。
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