
第二次産業革命は、明確に「この年からこの年まで」と区切るのが難しいですが、一般的には19世紀後半(1860年代〜1870年代)から20世紀初頭(1910年代〜1920年代)までの約50〜60年間とされています。
なぜこの時期なのか? それは、電気・石油・鉄鋼・化学産業の発展が本格化し、生産のあり方が劇的に変わった時期だからです。また、この時期にはアメリカとドイツが急成長し、工業の中心がイギリスから移り変わっていくという大きな変化もありました。
では、第二次産業革命の期間をより詳しく見ていきましょう。「始まり」「最盛期」「終わり」の3つのフェーズに分けて解説していきます。
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第二次産業革命の兆しは、19世紀後半から見られ始めました。
この時期、鉄鋼業が急成長し、新たな生産技術であるベッセマー法(1856年発明)が登場しました。これにより、安価で大量の鉄鋼を生産できるようになり、鉄道や橋梁、船舶の建設が加速しました。同時に、化学産業が発展し、合成染料や医薬品の開発が進みます。
それまで工業の中心だったイギリスに対し、アメリカとドイツがこの時期から急速に成長を始めます。特にドイツでは、1871年のドイツ統一を機に産業政策が強化され、国家主導で工業化が進められました。
この時期は、第二次産業革命のピークにあたります。
1880年代から、産業の中心エネルギーが蒸気機関から電気と石油に移行しました。トーマス・エジソン(1847-1931)の白熱電球や、ニコラ・テスラ(1856-1943)の交流電流の普及によって、工場や都市の電化が進みました。また、ジョン・D・ロックフェラー(1839-1937)のスタンダード・オイル社が石油産業を独占し、内燃機関(ガソリンエンジン)の発展とともに自動車産業の基盤が築かれました。
この時期に最も大きな変化をもたらしたのが、大量生産方式です。ヘンリー・フォード(1863-1947)が開発したベルトコンベア方式により、自動車をはじめとする工業製品の生産スピードが大幅に向上しました。これにより、一般の人々でも工業製品を手にできる「消費社会」が誕生しました。
20世紀に入ると、アメリカが世界最大の工業国へと成長します。鉄鋼・石油・電気・化学といった分野で圧倒的な成長を遂げ、経済の中心がイギリスからアメリカへと移り始めたのも、この時期でした。
第二次産業革命は、第一次世界大戦(1914-1918年)とともに新たな段階へと移行していきます。
戦争によって、鉄鋼や化学工業が軍需産業へとシフトしました。飛行機、戦車、無線通信といった技術が発展し、これまでの産業構造にも変化が訪れます。
1920年代になると、工業生産の主軸はさらに自動車・電化製品・家電へと移行しました。特にアメリカでは、一般家庭に冷蔵庫やラジオが普及し、現代に通じる消費社会が形成されていきました。この時期から、第二次産業革命の時代は終わりを迎え、次なる技術革新へとつながっていきます。
第二次産業革命の期間は、1860年代〜1920年代の約50〜60年間と考えられています。この間に、鉄鋼・化学産業が発展し、電気と石油が新たなエネルギーとして登場しました。そして、ベルトコンベア方式の確立によって大量生産が可能になり、消費社会の基盤が築かれたのです。
こうしてみると、第二次産業革命は「工場が生まれた時代」ではなく、「誰もが工業製品を手にする時代」への転換点だったといえるでしょう。