
散策・狩猟用婦人衣装を描いたファッション・プレート(1880年)
石版印刷の量産と雑誌流通で流行が広域に同時化し、縫製の機械化と化学染料の普及が大衆の衣生活を一変させた象徴。
出典:Lyudmila Ushakova (1833-1925) / La Mode Illustree / Wikimedia Commons Public domainより
産業革命は工場や機械のイメージが強いですが、実は服装やファッションの世界にも大きな変化をもたらしました。それまで仕立て屋に頼んで作るのが当たり前だった衣服が、大量生産によって誰でも手に入るようになったんです。さらに、印刷技術の進歩で流行が一気に広まり、街全体がファッションの舞台になっていきました。
この記事では、産業革命後に起きた服装の変化を「大量生産」「流行の広がり」「印刷とファッション」の3つの視点から見ていきます。
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まずは産業革命による「大量生産」が、人々の衣服をどう変えたのかを見ていきましょう。
紡績機や織機の発明で布の生産が飛躍的に増えました。これまで高価だった綿の服も庶民が着られるようになり、「おしゃれはお金持ちだけの特権」ではなくなったのです。
工場でまとめて作られた既製服が市場に出回るようになり、仕立て屋に頼まなくてもすぐ服が手に入る時代になりました。これによって都市の労働者や中産階級も、より多くの服を持つことができるようになったのです。
安価な服が手に入るようになったことで、季節や場面に合わせて着替える習慣も広がりました。ファッションが「日常の楽しみ」として意識され始めたんです。
次に、産業革命が都市にどんなファッション文化を生んだのかを見てみましょう。
工場や商店で働く人が集まる都市では、服装が個性や地位を示すサインになりました。街を歩けば最新の流行が目に入り、「みんなと同じ服を着たい」「一歩先をいきたい」という気持ちがかき立てられたのです。
19世紀後半にはデパートが登場し、ショーウィンドーに並んだ最新の服が人々の目を楽しませました。買い物は単なる生活の一部ではなく、娯楽や体験になっていったのです。
コルセットで体形を強調する服や、華やかなドレスも流行しました。都市での生活や娯楽の広がりにあわせて、女性の服装はますます多様化していったのです。
最後に、印刷技術の進歩がファッションに与えた影響を見てみましょう。印刷がただ本を作るだけじゃなく、人々の暮らしやおしゃれの感覚までも変えていったんです。
石版多色印刷のおかげで、美しいイラスト入りのファッション雑誌やカラフルなポスターが作られるようになりました。街のあちこちに貼られたポスターは目を引き、人々に「次はこんな服が流行るんだ」とわかりやすく教えてくれたんです。
こうして「ファッションが目に見える情報」として広がったことで、誰でも気軽に流行に追いつけるようになり、都市の文化はさらに活気づいていきました。
女性向けのファッション誌が続々と刊行され、都市の女性たちはページをめくるだけで最新のスタイルをチェックできるようになりました。それはまるで、家にいながらショーウィンドウをのぞいているような体験だったんです。
雑誌を参考にして服を選ぶスタイルが広がり、「みんなが同じ流行を共有する」という文化が定着していきました。おしゃれがより身近な楽しみになった瞬間でもあったんですね。
カラフルなポスターや雑誌広告は「この服を着ればあなたも素敵になれる」と人々の心をつかみました。見ているだけでワクワクして、つい欲しくなるような仕掛けがいっぱいだったんです。
やがてファッション広告は単なる宣伝を超えて、人々の消費意欲をかき立てる大きな力に。ファッションと広告はタッグを組んで、近代の消費社会を動かすエンジンになっていったんです。
こうしてみると、産業革命は服の作り方を変えただけじゃなく、流行やおしゃれの楽しみ方まで一新したんですね。今のファッション雑誌や広告文化の原点は、この時代にあったといえるでしょう。産業革命はまさに「近代ファッションの出発点」だったのです。
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