
アメリカの産業革命は、イギリスよりも少し遅れて始まりました。でも、その成長スピードは驚異的で、最終的には世界最大の工業国へと発展していきます。では、一体何がアメリカの産業革命を引き起こしたのでしょうか? そこにはいくつもの要因が絡んでいたのです。
さっそく、そのきっかけを見ていきましょう。
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アメリカの産業革命の第一のきっかけは、間違いなくイギリスの産業革命でした。イギリスは18世紀後半に工業化を進め、世界で最も発展した工業国になりました。当然、その影響は大西洋を越えてアメリカにも波及していきます。
イギリスは、自国の産業を守るため技術の流出を厳しく制限していました。特に、蒸気機関や紡績機の技術が他国に渡ることを警戒していましたが、それでも技術者や工場の設計図が密かにアメリカに持ち込まれることは避けられませんでした。
その代表的な人物が、サミュエル・スレーター(1768-1835)です。彼はイギリスの紡績工場で働いていましたが、技術を秘密裏に記憶し、1790年にアメリカへ渡ります。すると、ロードアイランド州にアメリカ初の水力紡績工場を建設し、「アメリカ産業革命の父」と呼ばれることになったのです。
イギリスの技術に触発されたアメリカ人技術者たちも、新たな発明を次々と生み出します。その代表的なものが、イーライ・ホイットニー(1765-1825)による綿繰り機(1793年)の発明です。これによって綿花の処理が格段に速くなり、アメリカ南部の綿花産業が急成長。綿花はイギリスの繊維工場に輸出され、アメリカ経済を支える重要な商品となりました。
アメリカは広大な国土を持ち、産業革命に必要な資源が豊富でした。特に、以下の資源が工業化を後押ししました。
アメリカには、ペンシルベニア州などを中心に広大な石炭の埋蔵地がありました。蒸気機関や製鉄業の発展には欠かせない資源であり、19世紀になると本格的な採掘が始まり、工業化を強力に支えました。
19世紀のアメリカでは、西部への開拓が進んでいました。この広大な土地を開発するためには農業の効率化が必要であり、その結果、農業機械の開発が加速します。
たとえば、1831年にはサイラス・マコーミック(1809-1884)が機械式の収穫機(リーパー)を発明しました。これにより、少ない労働力で大量の農作物を生産できるようになり、余剰の労働力が工業分野へと移動することになったのです。
産業革命が進むためには、製品や原材料を素早く運ぶための交通インフラが必要です。アメリカでは、19世紀前半にかけて急速に運河や鉄道が整備され、工業化が加速していきました。
1825年、ニューヨーク州でエリー運河が開通しました。この運河は、五大湖と大西洋をつなぐ重要な水路となり、内陸部の産業と東海岸の港を結ぶことで経済の発展に大きく貢献しました。
1830年代には、アメリカで蒸気機関車が登場し、鉄道網が拡大していきます。鉄道の発展によって、遠くの都市や工場と市場がつながり、経済の発展スピードが劇的に加速しました。
アメリカの工業化が進むためには、工場で働く労働力が必要でした。この労働力を支えたのが、19世紀にヨーロッパから流入してきた移民です。
19世紀半ばには、アイルランドやドイツからの移民が急増しました。アイルランド移民の多くはジャガイモ飢饉(1845-1852年)によって祖国を離れ、アメリカへと渡ったのです。彼らは都市部の工場で低賃金で働き、アメリカの産業革命を支える重要な労働力となりました。
当時の工場では、女性や子どもも重要な労働力でした。特に、繊維工場では女性労働者が多く雇われ、アメリカの工業生産を支えました。ただし、労働環境は劣悪で、長時間労働や低賃金といった問題も発生していました。
こうしてみると、アメリカの産業革命は国内外のさまざまな要因が絡み合って始まったことがわかりますね。
要因 | 具体的な内容 |
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イギリスの影響 | 技術の流入、サミュエル・スレーターの紡績工場 |
資源の豊富さ | 石炭・鉄鉱石・綿花の生産 |
交通インフラ | エリー運河・鉄道の発展 |
移民の増加 | アイルランド・ドイツ移民の流入 |
農業の機械化 | 機械式収穫機の開発、労働力の工業分野への移動 |
このように、アメリカの産業革命は、イギリスの影響、豊富な資源、交通インフラの発展、移民の増加といったさまざまな要因が重なって始まったのです。