
ドイツ帝国の成立宣言(1871年)
普仏戦争後、ベルサイユ宮殿の鏡の間で行われた帝国成立の宣布。国民国家の成立は、産業革命で加速した通信・鉄道・兵站の統合が後押しした19世紀ヨーロッパの潮流を象徴
出典:Photo by Anton von Werner / Wikimedia Commons Public domainより
産業革命っていうと「機械化で生活が便利になった」というイメージが先に来るけど、実は国ごとに「なぜ産業革命を進めたのか」という目的には大きな違いがあったんです。ときには経済成長のため、ときには軍事力を強めるため、ときには国民生活を底上げするため──。そしてその違いは、やがて国際関係をも揺るがすことになります。たとえばドイツ帝国の成立宣言(1871年)なんかは、産業力を背景に「国力をアピールする場」として象徴的な意味を持っていたんです。この記事では、そんな産業革命の目的を国ごとに見比べていきましょう。
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最初に産業革命を始めたイギリス。彼らの目的は「世界の工場」と呼ばれるようになるほどシンプルで強烈でした。
イギリスは豊富な石炭と鉄鉱石を背景に、繊維産業や製鉄業を急成長させました。その目的は世界市場を独占し、経済的な優位を確立すること。安くて大量の製品を輸出して貿易黒字を稼ぐ狙いがあったんです。
産業製品を売る市場として、そして原料を調達する場として植民地が不可欠でした。産業革命は植民地政策と二人三脚で進み、国力の源泉となりました。
効率的に作られた安価な衣類や道具は庶民の暮らしを底上げしました。もちろん労働問題も多かったですが、結果的に「豊かさを広げる」ことも目的のひとつだったんですね。
次に、西欧大陸の国々。彼らはイギリスに遅れて産業革命を取り入れましたが、それぞれの目的には独自色がありました。
フランスはファッションや工芸品などの高級品産業を発展させ、文化国家としての地位を守る狙いがありました。また鉄道や都市整備に力を入れ、「近代都市パリ」を実現することも目的のひとつでした。
ヨーロッパ大陸で最初に産業革命を実現したベルギーは、石炭と鉄を活かして製鉄業を中心に発展しました。その目的は地理的に重要な位置を生かし、経済ハブとなることでした。
ドイツ帝国の成立宣言(1871年)に象徴されるように、ドイツでは産業革命が国家統一と国力誇示のために使われました。重工業や化学工業を発展させ、軍事力の基盤を固めることで、列強の仲間入りを果たそうとしたんです。
最後は後発組の国々。彼らはイギリスや大陸諸国に学びながらも、それぞれ違う目的を持っていました。
アメリカは広大な国土と豊富な資源を生かして、鉄道や綿花産業を発展させました。その目的は国内市場の統合と、やがて世界経済の中心となること。フォードの組立ラインなど独自の工業化も進めました。
ロシアはヨーロッパ列強に追いつくために、国家主導で鉄道(シベリア鉄道など)や重工業を育成しました。目的は軍事力と国防強化であり、産業革命を国家戦略の一環として進めたんです。
明治維新以降の日本は、「富国強兵」「殖産興業」をスローガンに掲げて産業革命を進めました。目的は欧米列強に肩を並べる近代国家の実現。軍事も経済も、西洋に追いつき追い越すための手段として産業革命を取り入れたんです。
こうして比べると、産業革命の目的は国ごとに違っていました。イギリスは経済と植民地、フランスは文化と都市、ドイツは統一と軍事、アメリカや日本は国力強化と国際競争──。つまり産業革命は単なる技術の話じゃなく、各国の「生き残り戦略」そのものだったんです。
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