
産業革命はヨーロッパの国々に経済的・軍事的な優位性をもたらし、それに伴いアジア侵略(西欧視点では進出)が急速に進んでいきました。18世紀末から19世紀にかけて、イギリス、フランス、オランダなどの西欧諸国は、アジアの国々を植民地化し、資源を確保しようとしました。
では、なぜ産業革命がアジア侵略を加速させたのでしょうか? その背景を「原材料の確保」「市場の拡大」「軍事力の強化」の3つの視点から詳しく解説します。
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産業革命によって工場での大量生産が可能になりましたが、そのためには大量の原材料が必要になりました。
イギリスはインドを綿花の供給地として重視しました。18世紀後半には東インド会社を通じてインドを支配し、綿花を本国に輸出しました。また、19世紀にはアヘンの生産を奨励し、これを中国へ輸出することで利益を得ていました。
オランダはインドネシアで香辛料の独占を強化し、19世紀にはゴムやコーヒーのプランテーションを拡大しました。また、フランスはベトナムを支配し、米やゴムの生産を進めました。これらの資源は、西欧の工業製品の原材料として不可欠でした。
産業革命によって生産された工業製品を売るためには、新たな市場が必要でした。ヨーロッパ国内だけでは供給過剰となり、各国は海外市場を求めてアジアへ進出しました。
イギリスはインド産のアヘンを中国に輸出し、中国から茶・絹・陶磁器を輸入する貿易を行っていました。しかし、清(中国)がアヘン貿易を禁止すると、イギリスはこれを口実にアヘン戦争を仕掛け、勝利しました。その結果、1842年の南京条約によって香港を獲得し、中国市場への影響力を強めました。
フランスは19世紀後半にベトナム、ラオス、カンボジアを支配し、フランス領インドシナを形成しました。これにより、東南アジア市場を自国の工業製品の販売先としました。
産業革命による技術革新は軍事力の発展をもたらし、西欧諸国はアジア諸国を圧倒することが可能になりました。
蒸気機関の発明により、軍艦や輸送船の航行速度が向上し、西欧諸国はアジア遠征を迅速に行えるようになりました。また、鉄道の整備が進むことで、植民地支配のための兵員や物資の輸送が容易になりました。
産業革命により、鉄製の大砲やライフル銃が開発されました。これに対し、アジアの国々は伝統的な武器を使用していたため、西欧諸国との戦争では圧倒的に不利な状況に置かれました。
産業革命がアジア侵略(西欧視点では進出)を加速させた理由は、大きく3つあります。
このように、産業革命は単なる技術革新にとどまらず、西欧諸国によるアジア支配の大きな要因となったのです。