中国の産業革命の始まりはいつ?19世紀末の洋務運動から開始!

中国の産業革命の始まり

中国の産業革命の始まりは、19世紀後半の洋務運動や外国資本導入による工業化にあった。だが列強の干渉と不平等条約が制約となり、自立的発展には至らなかったのである。本ページでは、産業革命の外圧的要因や近代化の遅れ、国際関係を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げレポートしていく。

中国の産業革命の始まりはいつ?19世紀末の洋務運動から開始!

南京の兵器工場で工作機械を操作する工員(1871年)

南京の兵器工場の機械加工(1871年)
清末の自強運動期、南京の兵器工場で動力機械を用いた金属加工が行われる様子を写した写真で、中国に近代的な工場制が根づき始めた初期段階を示す実例として「産業革命」の始まりを象徴する。

出典:Photo by John Thomson / Wellcome Collection / Creative Commons CC BY 4.0より


産業革命というとヨーロッパやアメリカのイメージが強いですが、実は中国にも19世紀末から独自の近代化の波が押し寄せました。その大きなきっかけとなったのが洋務運動。清朝が「西洋の技術を学んで国を強くしよう」と進めた改革で、南京の兵器工場などをはじめとした近代工場が誕生したんです。この記事では、中国における産業革命の始まりを、この洋務運動を中心に見ていきますね。



中国で産業革命が必要とされた背景

まずは「なぜ中国が産業革命に乗り出す必要があったのか」という時代の背景から整理してみましょう。


アヘン戦争の衝撃

1840年に始まったアヘン戦争で、中国はイギリスに敗北しました。その結果、不平等条約を結ばされ、港を開き、外国の影響力が国内に強く入り込んでいきます。「このままじゃ国が立ち行かない」──清朝は痛感したんですね。


西洋技術への関心

軍事的にも経済的にも後れを取ってしまった中国は、「強い国になるためには西洋の技術を取り入れるしかない」と考えるようになります。そこで始まったのが洋務運動。スローガンは「中体西用」──伝統を保ちつつ、西洋の技術だけをうまく利用しようという発想でした。


近代工業化への第一歩

この動きが、伝統的な手工業中心の生産から、工場制による機械生産へとつながる最初の一歩となったんです。ヨーロッパ型の産業革命とは形は違いますが、中国流の近代化がここから始まったわけです。



南京の兵器工場と近代工業の誕生

洋務運動の成果を象徴するのが南京の兵器工場でした。


南京機器製造局の設立

1865年、曾国藩(1811 - 1872)や李鴻章(1823 - 1901)ら洋務派官僚のもとで南京機器製造局が設立されました。ここでは最新の西洋式兵器や蒸気船の製造が行われ、中国における近代工場のモデルケースとなりました。


兵器工場から広がる技術

この工場で培われた技術は、軍事だけにとどまらず、造船や機械製造といった産業にも応用されました。「軍事の近代化=産業の近代化」という流れが、中国の工業化を一歩進めたんです。


技術者育成の場

南京の兵器工場は単なる製造拠点ではなく、技術者や翻訳者の養成機関でもありました。ここで学んだ人材が各地に散らばり、さらに多くの工場や学校の設立に関わっていったんです。



中国における産業革命の進展

最後に、洋務運動から始まった工業化が、その後どのように広がっていったのかを見てみましょう。


鉄道と通信の導入

洋務運動の一環として鉄道や電信といった近代的インフラが導入されました。最初は外国企業の力を借りながらでしたが、中国国内の人々も次第にその運営や技術に関わるようになっていきます。


繊維産業や鉱業の発展

兵器工場に続いて紡績工場鉱山の開発も進みました。特に上海では近代的な紡績業が発展し、中国の工業化に新しい可能性を開いたんです。


限界と課題

とはいえ、中国の工業化は西欧列強の干渉や清朝内部の保守的な体制に阻まれ、本格的な産業革命には至りませんでした。「始まったけれど進みきらなかった産業革命」というのが実態だったんです。



こうして見ると、中国の産業革命の始まりは1860年代の洋務運動と南京の兵器工場に求められます。完全な工業化には至らなかったけれど、西洋技術の導入を通じて中国の近代化が本格的にスタートしたのは確かでした。その流れは20世紀の改革へとつながっていったんですね。