
中国の産業革命の始まりを明確に「この年」と断定するのは難しいですが、一般的には19世紀後半から20世紀初頭(洋務運動の時期:1860年代〜1890年代)がその出発点と考えられます。しかし、欧米や日本のように産業革命が一気に進んだわけではなく、断続的かつ政府主導で行われたのが特徴です。
中国は長い間、伝統的な農業社会を維持しており、18世紀までは世界最大の経済大国の一つでした。しかし、アヘン戦争(1840-1842年)を契機に欧米列強の圧力が強まり、西洋式の近代産業を導入する動きが始まりました。その後、清朝が推進した洋務運動(1860年代〜1890年代)によって近代工業化が進められましたが、これは本格的な産業革命には至りませんでした。本格的な工業化が進むのは、20世紀に入ってからの辛亥革命(1911年)や日中戦争(1937-1945年)、そして中華人民共和国成立(1949年)以降の社会主義体制のもとでの工業化の時代を迎えてからです。
では、中国の産業革命の流れを「洋務運動期」「近代化の挫折と再挑戦」「本格的な工業化」の3つのフェーズに分けて詳しく見ていきましょう。
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中国の産業革命の第一歩は、清朝が主導した洋務運動にあります。
洋務運動(1860年代〜1890年代)は、清朝が欧米の技術を取り入れ、軍事と産業の近代化を進めた改革運動です。アヘン戦争後、列強に押される中で、「中国の伝統を維持しながら西洋技術を導入する」という考えのもと、近代産業が発展し始めました。
この時期、中国には初の近代的な工場が設立されました。たとえば、
また、鉄道・鉱業・紡績業といった基幹産業も徐々に発展し、1890年代には湖北紡績工場や漢陽製鉄所が開設されました。
しかし、洋務運動は政府主導で進められたため、民間の資本家が育たず、産業革命を本格的に推進する力が不足していました。また、1895年の日清戦争で日本に敗北したことで、中国の近代化の遅れが浮き彫りとなり、洋務運動は失敗に終わります。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、中国の工業化は挫折と再挑戦を繰り返しました。
清朝末期になると、一部の商人や資本家が独自に近代工業を発展させ始めました。上海を中心に紡績業や銀行業が発展し、中国の経済構造が変わり始めます。
1911年の辛亥革命により清朝が崩壊し、中華民国が成立しました。しかし、政権が安定せず、軍閥が各地で勢力を争ったため、本格的な産業革命には至りませんでした。
1930年代に入ると、中国は日本との戦争に突入し、工業化の大部分が軍需産業に向けられました。この時期、蒋介石率いる国民政府がインフラ整備を進め、鉄道・兵器工場の建設を行いましたが、戦争の影響で本格的な産業発展は遅れました。
中国の本格的な工業化は、1949年の中華人民共和国成立後にようやく始まりました。
毛沢東政権下で、中国はソ連をモデルとした計画経済を導入し、大規模な工業化が進められました。特に、1953年から始まった第一次五カ年計画(1953-1957年)では、重工業が優先され、製鉄・機械工業・電力産業が発展しました。
中国が本格的に近代的な産業革命を達成したのは、1978年の改革開放政策以降です。鄧小平の指導のもと、市場経済が導入され、外国企業との貿易が活発化しました。これにより、輸出産業が急成長し、1980年代以降の「世界の工場」としての中国の姿が確立されました。
中国の産業革命の始まりは19世紀後半(1860年代〜1890年代)の洋務運動期とされますが、本格的な工業化が進んだのは20世紀後半になってからです。
19世紀の洋務運動では一部の近代産業が導入されましたが、清朝の体制維持が優先され、全面的な工業化には至りませんでした。その後、辛亥革命や日中戦争などの混乱を経て、1949年の中華人民共和国成立後に計画経済のもとで本格的な工業化が始まりました。そして、1978年の改革開放によって近代的な産業革命が完成し、中国は世界最大の工業国へと成長したのです。
こうしてみると、中国の産業革命は、断続的に進みながら、最終的に世界をリードする工業国へと発展したという、他国とは異なる特徴を持つ革命だったといえるでしょう。