「福祉」の始まりは産業革命?公的支援の歴史を知ろう!

産業革命にみる福祉の歴史

産業革命は労働環境の悪化を通じて、社会保障や福祉制度の必要性を顕在化させた。慈善活動や救貧法の改正が行われ、近代的福祉制度の形成へとつながったのである。本ページでは、産業革命の社会問題や福祉制度、制度改革を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げレポートしていく。

「福祉」の始まりは産業革命?公的支援の歴史を知ろう!

新救貧法に基づく新型ワークハウス案の対照図(オーガスタス・ピュージン)

新救貧法のワークハウス設計の対照図(1834年)
1834年の新救貧法が想定した新型ワークハウスの平面計画を、古い施設像と並置して皮肉った版画。労働抑制と収容を重視する制度化が進み、福祉の在り方が管理へ傾いた時代認識を示す。

出典: Photo by Augustus Pugin / Wikimedia Commons Public domainより


福祉って聞くと「年金」とか「医療制度」とか、今の制度を思い浮かべる人が多いと思います。でも実は、そのルーツをたどると18~19世紀の産業革命の時代に行き着くんです。人々の暮らしがガラッと変わり、貧富の差が広がったことで、「国や社会が助けなきゃいけない」っていう発想が生まれてきたんですね。


しかもその中には、今聞くと「え、それってむしろ厳しすぎない?」と思うような仕組みもありました。例えば1834年の新救貧法ワークハウスの存在です。これらは「助ける」と同時に「働かせる」という、ちょっと特殊な考え方から生まれたものでした。


この記事では、そんな福祉の始まりについて


「なぜ産業革命で福祉が必要になったの?」
「1834年の新救貧法ってどんな内容?」
「ワークハウスってどんな場所?」


という3つのポイントから、わかりやすくかみ砕いて解説します。



産業革命で福祉が必要になった背景

まずは、そもそもどうして産業革命の時代に「福祉」という考え方が出てきたのかを見てみましょう。人々の生活や働き方の変化が、その大きなカギになっていたんです。


農村から都市へ人々が移動

それまで農村で暮らしていた人々が、産業革命の工場労働を求めて都市へ移り住むようになりました。急激な都市化で人口はどんどん膨れ上がり、仕事にあぶれたり、病気や事故で働けなくなる人も増えていったんです。「働けない=生活できない」という深刻な状況が社会に広がっていきました。


貧富の差が一気に拡大

機械化や工場の発展で一部の資本家は莫大な利益を手にしましたが、その裏で労働者は低賃金・長時間労働に苦しんでいました。とくに子どもや女性の労働環境は劣悪で、健康を害する人も続出。社会の中で「助けが必要な人」が目に見えて増えたんです。


古い救貧制度の限界

もともとイギリスには16世紀から続くエリザベス救貧法がありました。でもこれは教区ごとに施しをする制度で、急激に膨らむ都市の貧困層には対応できなくなっていたんです。そこで新しい仕組みが求められるようになり、1834年に「新救貧法」が登場することになったんですね。



1834年の新救貧法の内容

次に、この時代を象徴する新救貧法の中身を見てみましょう。一言でいうと「ただ助けるんじゃなくて、あえて厳しくして自力で働くほうを選ばせる」という仕組みでした。


労働意欲を重視した制度

新救貧法は、生活に困った人を簡単には支援しない仕組みでした。「普通に働いたほうがマシ」と思わせるくらいの厳しい条件を課して、安易に救済に頼らないようにしたんです。つまり「労働が基本、救済は例外」という考え方ですね。


救済の場はワークハウス

救貧法の目玉がワークハウス(救貧院)でした。ここに入ることで最低限の食事と寝床は与えられますが、代わりに重労働を課せられる仕組み。しかも家族は分けて収容されることが多く、人々にとっては「最後の手段」としての場所だったんです。


「貧困は自己責任」という考え方

この制度の背景には「貧しいのは本人の怠けやモラルの問題」という当時の社会的な考え方がありました。だからこそ、ただの支援ではなく「働かせる」仕組みになったわけです。結果的に、福祉が「管理」とセットになって始まったことが、この新救貧法の特徴でした。



ワークハウスの実態

最後に、人々が実際に暮らしたワークハウスがどんな場所だったのかをのぞいてみましょう。名前だけ聞くと「家」っぽいですが、実際はかなり過酷な環境だったんです。


厳しい生活環境

ワークハウスでは食事は最低限で、着る物やベッドも質素そのもの。暖房も不十分で、冬はとても寒かったといわれています。まさに「生きるための最低限だけが与えられる場所」でした。


過酷な労働

入居者には石を砕く、麻をほぐすといった重労働が待っていました。これらは利益を生むというより「規律を身につけさせる」ことを目的とした作業でした。子どもや高齢者も例外ではなく、多くの人がここで苦しい生活を送ったんです。


後世への影響

ワークハウスは19世紀を通して多くの人に利用されましたが、その厳しさゆえに社会的な批判も強まりました。やがて20世紀に入ると、より人道的で平等な支援制度へと改革されていきます。つまり、ワークハウスの存在が「本当の意味での福祉」へとつながるきっかけになったんですね。



こうして振り返ると、福祉の始まりは「優しさ」というより「厳しさ」からスタートしたのがわかります。でもその中で「社会が弱い立場の人を見捨てちゃいけない」という発想が育まれていきました。今の福祉制度も、この歴史の積み重ねがあったからこそ形になった、といえるんです。