
産業革命がもたらした急速な都市化の裏側では、深刻なスラム化が進行していました。華々しい工業の発展とは裏腹に、労働者の住環境は極めて劣悪で、多くの人々が狭く不衛生な環境で暮らしていたのです。
では、産業革命の都市でスラム化が進んだ原因とは何だったのでしょうか? ここでは、「急激な人口増加」「住宅不足と劣悪な住環境」「低賃金と貧困」「公衆衛生の未発達」の4つの視点から詳しく解説します。
|
|
産業革命によって都市に爆発的な人口流入が発生しました。
工業化が進むにつれて、農村での仕事が減少し、生活の糧を求める人々が都市へ移住しました。特にイギリスのマンチェスターやバーミンガムなどの工業都市では、人口が短期間で倍増するほどの勢いでした。
政府や都市行政は、これほどの人口増加を想定しておらず、都市のインフラ整備が追いつかなかったのです。そのため、新たに移住してきた労働者たちは、無計画に建てられた劣悪な住宅に住まざるを得なくなりました。
人口が急増した都市では、深刻な住宅不足が発生しました。
労働者向けの住宅は極めて狭く、1部屋に何人もの家族が押し込められるのが当たり前でした。安価な家賃で済む住居は、劣悪な環境であることがほとんどだったのです。
こうした状況の中で、都市の一部は徐々にスラム街として定着していきました。ロンドンやマンチェスターの工業地帯周辺では、スラム化した地域が広がり、貧困層が集まる場所となったのです。
工場で働く労働者の収入の低さが、スラム化を助長しました。
労働者の賃金は非常に低く、家賃や食費を支払うだけで精一杯という状況でした。特に、女性や子どもは低賃金で働かされており、貧困から抜け出すのは困難でした。
生活の厳しさから、労働者の中にはギャンブルやアルコールに依存する人も多く、さらに貧困が深刻化していく悪循環が生まれました。スラム街では酒場が多く立ち並び、治安の悪化にもつながっていったのです。
スラム化した地域では、衛生環境が極めて劣悪でした。
産業革命初期の都市では上下水道が整備されておらず、汚水がそのまま路上に流れることが一般的でした。これにより、都市全体が悪臭に包まれ、病気が広がる原因となったのです。
こうした劣悪な環境の中で、コレラや結核といった感染症が頻発しました。19世紀のロンドンでは、衛生状態の悪化によりコレラの大流行が起こり、多くの死者を出しました。
産業革命によるスラム化の原因は、「急激な人口増加」「住宅不足と劣悪な住環境」「低賃金と貧困」「公衆衛生の未発達」の4つにありました。都市に労働者が殺到する一方で、住居の整備が追いつかず、低賃金のために貧困層は不衛生な環境で暮らさざるを得なかったのです。
こうした問題は19世紀後半から徐々に改善されていきますが、産業革命初期の都市はまさに「発展の裏で深刻な社会問題を抱えた場所」だったといえるでしょう。