
マンチェスター工業都市景観(19世紀)
マンチェスターは綿工業の中心地としてイギリスの産業革命を牽引した
出典: William Wyld / Wikimedia Commons Public domainより
イギリスの産業革命と聞くと、まず真っ先に出てくるのはマンチェスターという名前ではないでしょうか。ここは綿工業で大ブレイクを果たした街で、「世界の工場」とまで呼ばれました。
でも実を言うと、産業革命を支えたのはマンチェスターだけではないんです。
リバプールやバーミンガムといった都市も、それぞれ違った得意分野を持っていて、力を合わせることでイギリスを大国へと押し上げました。まるでチーム戦。ひとりのエースではなく、ポジションの違う選手が集まってこそ勝利できる、そんなイメージです。今回は、その主要都市たちをひとつずつ見ていきましょう。
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やっぱり外せないのがマンチェスター。産業革命と聞けば真っ先に思い浮かぶ都市で、まさに代名詞です。綿工業の発展は、当時の世界に衝撃を与えました。
18世紀の後半から19世紀にかけて、マンチェスターは綿布生産のメッカとなりました。ジェニー紡績機や水力紡績機、さらに力織機といった革新的な機械が次々に発明され導入されました。手作業では数週間かかっていた布づくりが、たった数日で終わるようになったんです。
まるで「手こぎボート」から「蒸気船」に乗り換えたようなもの。スピードが桁違いでした。こうして布が安く大量に市場に流れ込み、イギリス国内の庶民だけでなく、遠くアジアやアフリカの人々の暮らしにも影響を与えました。「布の都」と呼ばれるまでに成長したのも納得です。
工場がどんどん建てられると、当然ですが働き手が必要になります。だから農村で仕事を失った人々や、新しい生活を求める若者たちが次々と流れ込んできました。その結果、マンチェスターの人口は短期間で爆発的に増加。田舎町がわずか数十年で大都市へと変貌していったんです。街の景色は一変。
工場の煙突が並び、道には労働者が行き交う。活気と同時に混乱も生まれました。住宅不足や公害、労働者の過酷な生活。そうした問題もまた、産業革命の一部だったのです。マンチェスターは「工業都市のひな型」として世界中から注目されました。
マンチェスターの工場で作られた布は、リバプールの港を経由して世界中に輸出されました。南米にも、アジアにも、アフリカにも。その広がりはとてつもない規模でした。イギリスが「世界の工場」と呼ばれるようになったのは、まさにこの布の力があったからこそ。マンチェスターはその象徴的存在でした。
さて、マンチェスターと切っても切れない関係にあるのがリバプールです。港町であるリバプールは、大西洋を舞台に大きな役割を果たしました。
アメリカ南部のプランテーションで育てられた原綿。その大量輸入の窓口がリバプールでした。船で届いた綿花をリバプールが受け取り、それをマンチェスターに送り込む。そしてマンチェスターで布に加工された製品は、またリバプールから船に積まれ、ヨーロッパやアジアへ送り出される…この循環はまるで「血液の流れ」のよう。
リバプールが心臓で、マンチェスターが筋肉──どちらが欠けても産業革命は進まなかったのです。
リバプールが賑わうと、港の仕事も一気に増えました。造船業、倉庫業、荷役作業。港町らしい職業が次々と生まれ、国内外から労働者が集まりました。ここでも人口は急増。さらに港を利用する外国商人も多く訪れ、国際色豊かな都市へと成長しました。活気あふれる港町。まるで世界中の人と物が集まる交差点のような存在でした。
1830年にはリバプール・マンチェスター鉄道が開通しました。これは世界初の本格的な旅客鉄道としても有名です。港と工業都市を直結したことで、物流と人の移動が爆発的に効率化しました。もし今で例えるなら、インターネット回線が初めて普及したときのような衝撃だったでしょう。人も物も、あっという間に移動できるようになったのです。
最後にご紹介するのはバーミンガム。鉄と石炭に恵まれた立地を最大限に活かし、金属工業の中心として発展しました。
蒸気機関を動かすための部品、武器や工具、さらには機械そのもの。そうした金属製品の多くが、ここバーミンガムで作られました。イギリスの強さを支えた見えない力。まさに工業革命の心臓部といえる街でした。
バーミンガムの強みは、金属だけにとどまりません。ガラス、陶磁器、化学産業など、多彩な工業が育ちました。もし都市を料理に例えるなら、マンチェスターが「布料理の専門店」、リバプールが「物流のレストラン」だとすれば、バーミンガムは「総合デパート」。どんな商品も揃う、そんな頼もしさがあったのです。
ただし、急速な成長には副作用もありました。長時間労働や低賃金、子どもの労働。そうした問題が山積し、労働者たちは声を上げるようになります。ここからチャーティスト運動のような政治運動や社会改革の動きが広がっていったのです。つまり、バーミンガムは「工業の街」であると同時に、「変革を求める市民の街」でもあったわけです。
こうして見てみると、イギリスの産業革命を支えたのは、マンチェスターだけではなかったと分かります。マンチェスターは綿工業の力で「世界の工場」という地位を確立し、リバプールは物流の玄関口としてそれを世界へ広げ、バーミンガムは金属産業で技術的な基盤を築き上げました。それぞれの都市が違う役割を果たしながらも、全体として産業革命を前に進めていったのです。
言うなれば、イギリスという国を巨大な機械に例えるなら、
全部がそろって初めて、この大きな「産業革命マシン」が動いたのだと言えるでしょう。
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