
19世紀のマンチェスター工業都市景観
綿工業の隆盛がイギリスを「世界の工場」へと押し上げ、国際経済を牽引する原動力となった。
出典: William Wyld / Wikimedia Commons Public domainより
イギリスって、19世紀には「世界の工場」なんて呼ばれていたんです。どうしてそんなに特別な存在になれたのか、不思議に思いませんか?答えを探っていくと、産業革命の進展と、イギリスが築いた植民地貿易とのつながりが見えてきます。この記事では、その理由をわかりやすくかみ砕いて解説します。
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リバプール・マンチェスター鉄道の開業(1830年)
大量輸送を可能にする鉄道ネットワークが築かれ、イギリスが「世界の工場」として繁栄する基盤となった。
出典:A. B. Clayton (artist) / Wikimedia Commons Public domainより
まずイギリスが「世界の工場」と呼ばれるまでになったのは、資源と技術の両面が揃っていたからです。そこに産業革命という追い風が加わって、一気に工業国家として飛躍しました。
イギリスには、産業革命に欠かせない石炭や鉄鉱石が豊富にありました。蒸気機関を動かす燃料、そして機械や鉄道を作るための金属が国内でまかなえるというのは大きな強み。自給できる資源が工業化を支えたんです。
特にマンチェスターを中心とした綿工業の発展は目覚ましく、「コットンポリス(綿の都)」と呼ばれるほどでした。力織機や紡績機の改良によって、綿布は大量かつ安価に生産され、世界中に輸出されていきます。
工場で生産したものを運ぶには交通網が不可欠。イギリスでは鉄道や運河が整備され、都市と港がしっかりつながりました。物流がスムーズになったことで、工業製品は国内外へどんどん広がっていきました。
ボンベイの綿花俵の計量(1908年)
植民地貿易でボンベイの綿が原料としてイギリスに送られ、「世界の工場」を支える基盤となった。
出典: Photo by Unknown author / Wikimedia Commons Public domainより
次に欠かせないのが、イギリスが広大に広げた植民地帝国です。実は「世界の工場」という立場は、植民地とのつながり抜きには語れません。
インドやアメリカ南部などは綿花の供給地として重要な役割を担っていました。工場で必要とする原料を安定的に確保できたのは、植民地ネットワークのおかげだったんです。
原料を送ってくれるだけでなく、植民地はイギリス製品の販売先にもなりました。大量に作った綿布や機械製品は、アジアやアフリカへどんどん送り込まれ、現地市場を席巻していったんです。原料供給地であり消費地でもある植民地──これがイギリスの強みでした。
大西洋をまたいだ三角貿易も重要でした。アフリカで奴隷を調達し、アメリカで綿花や砂糖を生産、それをイギリスに運んで製品に加工し、また世界へ送り出す。こうした流れが「世界の工場」を名実ともに成立させたんです。
エッセンのクルップ鋳鋼工場(1913年頃)
イギリスに続いて19世紀後半からはドイツでも産業革命が進み、中でもルール地方を擁するエッセンは重工業の中心地として発展した。
出典:Photo by Unknown / Wikimedia Commons Public domainより
最後に、イギリスが「世界の工場」と呼ばれるようになったことで、どんな影響が世界に広がったのかを一緒に見ていきましょう。
イギリスの工業化は国内だけにとどまらず、地球規模で大きな変化を生み出したのです。
工業製品の輸出によって、イギリスは一気に世界貿易の中心へと躍り出ました。港町にはインドやアジア、アメリカ大陸から船が集まり、活気あふれる国際的な交流の場へと変わったのです。
当時のロンドンやリヴァプールを歩けば、聞こえてくる言葉も多国籍、並ぶ品物も世界各地のものばかり。まるで巨大な「世界市場」が都市の中に現れたような光景でした。
もちろん「イギリスばかりに先を越されてなるものか」と、他国もすぐに工業化へと乗り出しました。特にドイツやアメリカは鉄鋼や化学工業など、それぞれの独自の強みを活かして急成長していったのです。
こうしてイギリスの成功は他国にとって「お手本」であると同時に「ライバル心をかき立てる刺激」にもなりました。まさに「追いつけ追い越せ」の国際競争が始まったのです。
イギリスが築いた工業化のモデルは、やがて世界中に広まっていきました。資本家と労働者という構図、さらに植民地から原料を調達して製品を輸出するという分業の仕組み。これらがセットになって、新しい時代の経済ルールとなったのです。
結果として「工業化+植民地貿易」のパターンこそが資本主義世界の基本構造になりました。イギリスが切り開いた道筋が、その後の世界の経済を長く方向づけていったのです。
こうして見てみると、イギリスが「世界の工場」と呼ばれたのは、資源や技術だけじゃなく、植民地との貿易をフル活用していたからなんですね。
マンチェスターのような工業都市はその象徴で、今でも当時の面影を色濃く残しています。
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