
産業革命を最初に経験したイギリスは、19世紀を通じて「世界の工場」と呼ばれるほどの経済的繁栄を遂げました。しかし、20世紀に入ると、その地位は徐々に低下し、最終的には他の国々に追い抜かれることになります。
では、なぜイギリスは「世界の工場」となり、その後転落したのか。その理由を詳しく見ていきましょう。
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イギリスが産業革命を最初に経験した背景には、いくつもの要因がありました。
イギリスは石炭と鉄という産業革命に不可欠な資源が豊富でした。特に石炭は蒸気機関の動力源として重要であり、製鉄業の発展にもつながりました。さらに、17世紀の名誉革命(1688年)以降、比較的安定した政治体制が続き、経済活動がスムーズに進んだことも大きな要因です。
18世紀の農業革命によって食糧生産が向上し、人口が増加しました。これにより、余剰労働力が都市へ流れ、工場で働く労働者として活用されるようになったのです。
蒸気機関の改良(ジェームズ・ワットによる)をはじめ、ジェニー紡績機やミュール紡績機などの発明が相次ぎました。これにより、手作業に頼っていた繊維産業が大規模な機械生産へと移行し、工場制度が確立されました。
イギリスは18~19世紀にかけて世界各地に植民地を持ち、そこで生産された原材料(綿花・砂糖・ゴムなど)を輸入し、自国の工場で製品化した後、再び植民地や世界市場に輸出するというグローバルな経済システムを構築しました。
イギリスには銀行や証券市場が発展しており、産業資本への投資が活発に行われました。ロンドンは国際金融の中心地となり、産業の成長を支えたのです。
20世紀に入ると、イギリスの経済力は徐々に低下していきました。その理由は何だったのでしょうか?
産業革命をリードしていたイギリスですが、19世紀後半には技術革新のペースが鈍化しました。ドイツやアメリカでは電気・化学・自動車といった新産業が発展しましたが、イギリスは伝統的な繊維産業や石炭産業に依存し続け、新技術への適応が遅れたのです。
19世紀後半になると、ドイツやアメリカが急速に工業化を進め、イギリスを追い越していきました。
例えば
といったように、新興勢力の台頭で、世界市場におけるイギリスのシェアは縮小していきました。
20世紀に入ると、二度の世界大戦がイギリス経済に大きな打撃を与えました。戦費調達のために財政が悪化し、多くの植民地を失うことで、貿易ネットワークも弱体化しました。戦後の復興にも時間がかかり、戦争のダメージを受けなかったアメリカやソ連が世界の経済を主導するようになったのです。
戦後のイギリスでは、労働組合の影響力が強まり、頻繁なストライキが発生しました。これにより、工業生産が停滞し、国際競争力がさらに低下しました。また、設備の老朽化や高い税負担も、産業の衰退を加速させました。
イギリスはなぜ「世界の工場」となり、その後転落したのかを振り返ると、以下のポイントが重要でした。
このように、イギリスは産業革命によって世界経済をリードしましたが、新興国の台頭や戦争の影響により、その地位を徐々に失っていったのです。まさに、時代の変化に適応できるかどうかが、国の繁栄を左右するということですね!