第二次産業革命後の変化とは?電気と大量生産がもたらした社会を知ろう!

第二次産業革命後の変化

第二次産業革命による変化は、生活様式の近代化と国際経済の再編にあった。大量生産と消費文化が定着し、社会の大衆化へとつながったのである。本ページでは、第二次産業革命の社会変化や経済構造、文化的影響を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げレポートしていく。

第二次産業革命後の変化とは?電気と大量生産がもたらした社会を知ろう!

フォード社の移動式組立ライン(1913年)

第二次産業革命を牽引したフォード社の移動式組立ライン(1913年)
、ベルトコンベア方式による流れ作業と部品の標準化で生産性が急伸し、自動車工業が大量生産のモデルを確立した。

出典:Photo by Unknown author / Wikimedia Commons Public domainより


第二次産業革命の話になると、やっぱり気になるのが「どの国が主役だったの?」という点ですよね。第一次産業革命ではイギリスがダントツの先頭を走っていましたが、19世紀後半から20世紀初頭にかけては、舞台の中心がガラリと変わります。そこに強烈な存在感を放ったのがドイツアメリカ。鉄鋼・化学・電気の分野で世界をリードし、工業大国として一気に台頭していったんです。


この記事では、第二次産業革命の中心国としてのドイツとアメリカを取り上げ、「なぜ強くなれたのか」「どんな産業が伸びたのか」「象徴的な工場や技術は何だったのか」を見ていきます。



ドイツの台頭

まずはヨーロッパ大陸で急速に力を伸ばしたドイツから見てみましょう。1871年の統一以降、国家的な後押しを受けて工業化が一気に進みました。


化学工業の発展

ドイツといえば化学工業の発展が有名です。人工染料や医薬品、化学肥料などが次々と開発され、世界市場を席巻しました。大学や研究所と企業が密接に連携し、科学的知識を産業に応用する体制が整っていたことが大きな強みでした。


BASFルートヴィヒスハーフェン工場

その象徴がBASFルートヴィヒスハーフェン工場。19世紀後半に設立され、化学製品の大規模生産を行った巨大コンビナートです。ここから生み出された合成染料や化学肥料は、ドイツを「化学大国」に押し上げ、世界の産業地図を塗り替える原動力となりました。


鉄鋼・重工業の成長

ルール地方を中心とした鉄鋼業も急成長。鉄道や橋梁、戦艦建造に必要な資材を次々と供給しました。化学と鉄鋼の二本柱で、ドイツはヨーロッパ随一の工業国に変貌していったのです。



アメリカの台頭

続いて海を越えてアメリカの動きを見てみましょう。広大な国土と豊富な資源を背景に、19世紀後半から20世紀初頭にかけて世界最大の工業国へ成長します。


鉄道網の整備

アメリカの工業化を支えたのが鉄道網の拡張です。大陸横断鉄道をはじめ、鉄道が国内を隅々まで結びつけ、生産と市場を強力にリンクさせました。農産物も工業製品も全国的に流通し、国内市場の規模は一気に拡大します。


大量生産と組立ライン

アメリカといえば大量生産方式の確立も外せません。特にフォード社の組立ラインは、自動車を安価に大量供給する仕組みを生み出し、工業生産の常識を塗り替えました。この効率性はのちのアメリカ経済の強みとなります。


石油と電気の利用

さらに石油資源の活用や電気エネルギーの普及が進み、都市インフラも大きく変わりました。夜でも煌々と輝く街並みや新しい消費文化は、アメリカを「近代文明の象徴」として世界に印象づけました。



ドイツとアメリカが中心国になった理由

ではなぜ、このふたつの国が第二次産業革命の中心国となったのでしょうか。その背景を整理してみましょう。


科学と産業の融合

ドイツでは大学や研究機関が産業と直結しており、「科学立国」的な仕組みがありました。 研究室で生まれた理論や技術がすぐに工場へ応用される流れがあったんです。


新しい化学製品の誕生はこの体制なしには語れません。科学と産業が二人三脚で進んだことで、ドイツは「知識を力に変える国」として急成長していきました。


豊富な資源と市場

アメリカの場合、鉄鋼・石油・石炭といった資源が国内に豊富に存在しました。 しかも国土が広く、移民の流入で人口が増加したため、巨大な国内市場が形成されたんです。


需要があるからこそ工業製品は大量に作られ、それを消費する仕組みも回る。資源の豊かさと市場の広さ、この二つがアメリカの成長を力強く後押ししました。


国家的な支援と競争

両国ともに政府の保護や支援、そして企業同士の激しい競争が革新を加速させました。 関税政策や国家プロジェクトが産業を守り、さらに軍事需要と国際競争が技術開発を一段と推し進めることとなったのです。


「負けたら取り残される」という緊張感の中で、新しい発明や生産方式が次々と生み出され、結果としてドイツとアメリカは第二次産業革命の主役に躍り出たんですね。



こうして見ると、第二次産業革命の主役はイギリスからドイツとアメリカへと移っていったんですね。化学工業の巨大工場BASFルートヴィヒスハーフェンや、アメリカの組立ラインに象徴されるように、彼らは新しい技術と仕組みで世界の工業をリードしました。その結果、20世紀の国際社会は「ドイツとアメリカの時代」と呼べるほどのインパクトを持つことになったのです。