
日本の産業革命の始まりは、一般的に19世紀後半(1870年代〜1880年代)とされています。
イギリスの産業革命(18世紀後半)と比べると約100年遅れのスタートでしたが、日本は明治維新(1868年)をきっかけに国家主導で急速な工業化を進めました。その結果、わずか数十年で近代産業を確立し、アジアで最初の工業国へと成長しました。
では、日本の産業革命はどのように始まり、どのように展開していったのでしょうか? 「幕末の近代化の動き」「明治政府による産業政策」「本格的な工業化」の3つのフェーズに分けて詳しく解説していきます。
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日本の産業革命は明治時代に本格化しますが、その前段階として幕末期(1850年代〜1860年代)に近代化の動きが始まっていました。
1853年、ペリー率いる黒船来航をきっかけに、日本は西洋の技術や産業に関心を持つようになりました。1854年の日米和親条約、1858年の日米修好通商条約により、日本は西洋諸国と貿易を開始し、蒸気機関や繊維機械、鉄砲などの最新技術が流入しました。
幕末の動きとして特に重要なのが、幕府や諸藩が近代工場を建設したことです。例えば、
などの動きですね。これらの施設は後の本格的な工業化の基盤となりました。
1868年の明治維新以降、日本は本格的な産業革命の時代へと突入します。
明治政府は、「富国強兵」のスローガンのもとで、殖産興業を掲げ、政府主導で工業化を進めました。具体的には、
などが行われたのです。
富岡製糸場(1872年設立)は、日本初の本格的な官営工場であり、最新のフランス式機械を導入しました。これにより、繊維業の近代化が進み、日本の生糸輸出が急増しました。特に、欧米向けの生糸輸出が拡大し、日本の外貨獲得に貢献しました。
1872年、日本初の鉄道(新橋〜横浜間)が開通し、物流が大幅に向上しました。これにより、国内市場が広がり、工業製品の流通がスムーズになりました。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本の工業化はさらに加速しました。
八幡製鉄所(福岡県)は、日本初の本格的な製鉄所であり、1901年に操業を開始しました。これにより、鉄道・造船・機械産業に必要な国産鉄鋼を供給できるようになり、日本の産業基盤が大きく強化されました。
1890年代には、大阪紡績会社をはじめとする紡績工場が増え、日本は繊維産業でアジア最大級の生産国となりました。これに伴い、多くの女性が工場労働に従事するようになり、社会構造も変化しました。
日清戦争に勝利したことで、日本は台湾を獲得し、中国市場への進出が容易になりました。また、賠償金を工業投資に回し、軍需産業やインフラ整備を進めることができました。
日本の産業革命の始まりは19世紀後半(1870年代〜1880年代)とされますが、その前の幕末期(1850年代〜1860年代)から近代化の動きがありました。
明治政府の殖産興業政策によって、鉄道・製糸業・製鉄業が発展し、1890年代には本格的な工業化が進みました。1901年の八幡製鉄所の操業開始により、日本はようやく近代工業国家の仲間入りを果たします。
こうしてみると、日本の産業革命は政府主導のスピーディーな近代化が特徴であり、数十年という短期間でアジア最初の工業国へと成長したことがわかります。