日本の産業革命の始まりはいつ?明治期の1870年代から!

日本の産業革命の始まり

日本の産業革命の始まりは、明治維新後の殖産興業政策と富国強兵策の推進にあった。製糸業や鉄道の発展が基盤を築き、急速な工業化へとつながったのである。本ページでは、産業革命の政策的背景や技術導入、社会的変化を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げレポートしていく。

日本の産業革命の始まりはいつ?明治期・富岡製糸場が先陣を切る!

富岡製糸場 東繭倉庫(群馬県富岡市)

富岡製糸場・東繭倉庫(1872年)
出典:Photo by Hasec / Wikimedia Commons Public domainより


産業革命と聞くと「イギリスで蒸気機関!」というイメージが強いですが、わたしたちの日本も19世紀後半、明治維新をきっかけに一気に工業化へ突き進みました。その先陣を切ったのが富岡製糸場。お蚕さんの糸を近代的な機械でグングン紡いだこの工場は、日本の産業革命を象徴する存在なんです。では、日本の産業革命の始まりを、背景から富岡製糸場の役割まで一緒に見ていきましょう。



明治維新と産業革命の準備

まずは「なぜ日本で産業革命が起こったのか」というスタート地点を押さえてみましょう。江戸から明治へ、大きな転換が背景にありました。


明治維新と殖産興業

1868年の明治維新は、政治の仕組みを変えただけじゃなく、経済の近代化にも火をつけました。新政府が掲げたスローガンが殖産興業。つまり「産業を興して国を豊かにしよう!」ということです。産業革命の後押しを“国家レベル”で進めたんですね。


西洋技術の導入

幕末から明治にかけて、日本は積極的に西洋の技術を取り入れていきます。留学生を派遣したり、お雇い外国人を招いたりして、短期間で最新の技術や知識を学びました。


輸出産業としての絹

日本にとって絹は外貨を稼ぐ最重要品。国際市場で需要が高かったため、製糸業を近代化することが「国づくりのカギ」とされたんです。



富岡製糸場の誕生と役割

富岡製糸場 東繭倉庫(群馬県富岡市)

富岡製糸場・東繭倉庫(1872年)
明治初期に官営で建設された器械製糸工場で、日本の産業革命の始まりを象徴する拠点。機械化と工場制の普及を牽引した。

出典:Photo by Hasec / Wikimedia Commons Public domainより


次に、日本の産業革命を象徴する富岡製糸場について見てみましょう。


世界最大級の製糸工場

1872年、群馬県に富岡製糸場が完成しました。当時としては世界でも最大規模の器械製糸工場で、フランス式の最新技術が導入されていました。ここで作られた生糸は高品質で、輸出品としても大人気に。日本の近代工業のスタートを告げた工場だったんです。


女性労働者の活躍

富岡製糸場といえば女工さんの存在も忘れられません。多くの若い女性が全国から集まり、工場で働きました。厳しい労働環境の一方で、読み書きを学んだり技術を身につけたりする場にもなったんです。


技術の普及と波及効果

富岡で培われた技術やノウハウは、全国各地の製糸工場に広がっていきました。その結果、日本は19世紀末には世界有数の生糸輸出国となり、経済発展を牽引したんです。



日本産業革命の進展

横須賀造船所(旧・横須賀製鉄所)の全景(明治36年)

横須賀造船所(1903年)
幕末に創設された横須賀製鉄所が拡張されて造船所となった時期の姿。ドックや機械設備が並ぶ近代工場群が見える。フランス人技師レオンス・ヴェルニーの導入した技術基盤を受け継ぎ、産業革命の技術受容と日本の近代工業化を象徴する拠点のひとつ。

出典:高島信義(著者) / Public domainより


最後に、富岡製糸場を皮切りに始まった日本の産業革命の流れを見てみましょう。
明治維新によって近代国家を目指していた日本にとって、産業の発展は欠かせない柱となっていったのです。


鉄道と交通網の整備

1872年、日本で初めて新橋~横浜間に鉄道が開通しました。
それまで人力や馬車に頼っていた移動が大幅にスピードアップし、社会の動き方が一気に変わったのです。


鉄道網が少しずつ整備されるにつれて、地方の産業と都市の市場が結びつきました。
こうしたつながりが国内市場の一体化を進め、結果的に工業の発展を力強く後押ししました。


重工業の芽生え

当初は製糸業が中心でしたが、次第に造船や製鉄といった重工業へと分野が広がっていきました。
特に官営工場の建設は近代化を進める大きな役割を果たしたのです。


軍事や鉄道・港湾といったインフラ整備とも直結し、日本の経済基盤をしっかり支える存在となりました。
こうした芽生えが、のちの急速な工業成長につながっていきます。


列強への仲間入りへ

このように進められた工業化の積み重ねが、やがて日清戦争・日露戦争での勝利を支える力となりました。
近代的な軍需産業と輸送手段が、日本の戦争遂行能力を高めたのです。


つまり産業革命が国力を押し上げ、日本を「列強の仲間入り」へと導いたといえます。
農業中心の国から、近代的な工業国家へと大きく転換した象徴的な出来事だったのです。



こうして見ると、日本の産業革命の始まりは1872年の富岡製糸場に象徴されます。絹の近代化から鉄道、重工業へと広がり、短期間で「近代国家」としての基盤を作り上げたのです。そのスピード感は、世界史的にも特筆すべきものでした。