
産業革命は経済と技術の発展をもたらしましたが、その裏では公害問題が深刻化していました。工場の排煙や廃水が原因で空気や水が汚染され、人々の健康や生態系に悪影響を及ぼすようになったのです。
では、産業革命によって公害問題はどのように発生し、どのように対応されてきたのか? 本記事では、「大気汚染」「水質汚染」「鉱毒問題」の3つの視点から詳しく解説します。
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産業革命が進むと、都市部の空気が黒い煙で覆われるようになりました。
工場や家庭での石炭の大量燃焼によって、都市の空気中には硫黄酸化物(SO₂)や煤(すす)が充満しました。特にロンドンやマンチェスターなどの工業都市では、煙が立ち込めるスモッグ(煙霧)が頻発し、呼吸器疾患を引き起こす原因となりました。
19世紀には公害対策の意識が低く、大気汚染は「文明の発展の代償」として見過ごされがちでした。しかし、19世紀後半になると、ロンドンなどの都市では煙害防止条例が制定され、工場の煙突を高くして煤煙を拡散させる試みが行われました。ただし、この方法は汚染物質の拡散を遅らせるだけで、根本的な解決には至りませんでした。
工場の排水や生活排水が未処理のまま川に流され、水質汚染が深刻化しました。
繊維工場や化学工場から有害な化学物質が排出され、川や湖の水質が悪化しました。また、人口の急増により下水道が未整備の都市では、生活排水やゴミがそのまま川に流れ込む状況が続きました。その結果、コレラやチフスなどの感染症が流行する事態となったのです。
水質汚染の問題が顕著になったことで、19世紀後半には公衆衛生の向上が求められるようになりました。特にロンドンでは、1858年の「大悪臭(The Great Stink)」をきっかけに、下水道の整備が進められました。また、一部の国では工場排水の規制が導入されるようになり、水質改善の取り組みが始まりました。
産業革命期には鉱山開発が活発になりましたが、その過程で有害な鉱毒が周囲の環境を汚染しました。
銅や鉛、鉄などの鉱石を採掘する際、大量の有害な化学物質が排出されました。特に重金属を含む鉱山廃水が川に流れ込むことで、水質汚染や土壌汚染を引き起こし、農作物の生産にも悪影響を与えました。
鉱毒問題に対する初期の対策は非常に不十分でした。しかし、19世紀後半には各地で公害反対運動が起こり、一部の国では鉱業規制が導入されました。例えば、日本では足尾銅山鉱毒事件(19世紀末)が社会問題となり、公害規制の先駆けとなりました。
産業革命は経済発展と引き換えに深刻な公害問題を引き起こしました。特に、大気汚染・水質汚染・鉱毒問題が顕著で、工場や都市の成長に伴い、人々の健康や生態系に悪影響を与えました。
19世紀後半には一部の国で煙害防止条例や下水道整備が進められましたが、根本的な公害対策が本格化するのは20世紀になってからのことでした。こうしてみると、産業革命は現代の公害問題の出発点だったといえるのです。