
第二次産業革命は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて起こった技術革新と経済の大変革です。第一次産業革命によって蒸気機関や工場制生産が普及しましたが、それだけでは終わりませんでした。次なる革命では、電気や石油といった新しいエネルギーが登場し、鉄鋼、化学、通信といった分野で画期的な進歩が生まれました。さらに、企業の巨大化や労働環境の変化など、社会のあり方そのものも変えていくことになります。
では、なぜ第二次産業革命は起こったのでしょうか? 本記事では、「技術革新」「資本主義の発展」「国家の政策」という3つの視点から、原因を詳しく解説していきます。
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第二次産業革命の最大の特徴は、新たな技術の登場でした。電力、石油、化学、鉄鋼といった分野での革新が、経済と社会を大きく変えていきました。
蒸気機関が主役だった時代から、電気の時代へと移行しました。19世紀後半、トーマス・エジソン(1847-1931)が白熱電球を発明し、街中や工場が明るく照らされるようになります。これにより、夜間作業が可能になり、生産時間が延びました。さらに、ニコラ・テスラ(1856-1943)による交流電流の発明により、電気を遠距離に送ることができるようになり、都市部だけでなく地方の工場でも電力を利用できるようになったのです。
電気と並んで、石油も重要なエネルギー源となりました。19世紀後半、ジョン・D・ロックフェラー(1839-1937)のスタンダード・オイル社が石油の精製技術を確立し、燃料の大量生産が可能になります。そして、この石油を動力とする内燃機関が開発され、蒸気機関に代わる動力源として活躍するようになりました。特に、カール・ベンツ(1844-1929)が自動車を発明し、のちにヘンリー・フォードが大量生産方式を確立したことで、自動車が社会に普及していくことになります。
ベッセマー法や平炉法といった新しい製鉄技術の登場により、鉄鋼が安価に大量生産できるようになりました。これにより、鉄道や橋梁、大型船舶、ビルの建設が急速に進みます。さらに、化学工業も発展し、合成染料、医薬品、肥料、爆薬といった製品が次々に開発されました。特に、ドイツでは化学産業が急成長し、世界市場をリードすることになります。
技術革新とともに、資本主義の仕組みも大きく変化しました。企業の規模が拡大し、経済の中心が個人経営の工場から巨大企業へと移行していきます。
第二次産業革命期には、大量生産と市場の拡大に伴い、大企業が次々と誕生しました。アメリカでは、ロックフェラーのスタンダード・オイル、アンドリュー・カーネギーのUSスチール、J.P.モルガンの金融業などが大きな影響力を持ち、資本を独占するようになります。これらの企業は「トラスト」と呼ばれ、業界を支配する存在となっていきました。
19世紀後半になると、生産の効率化が進み、大量生産が可能になりました。その象徴となったのが、ヘンリー・フォード(1863-1947)によるベルトコンベア方式です。これにより、自動車の生産コストが大幅に下がり、一般家庭でも購入できるようになりました。この動きが、現代の大量生産・大量消費社会の原型となっていきます。
工業化が進むにつれて、多くの人が農村を離れて都市へ移動し、都市の人口が急増しました。これにより、電気や水道、交通網といった都市インフラが整備され、都市生活の利便性が向上しました。一方で、人口の集中により住宅不足や衛生問題が深刻化し、新たな社会問題も生まれました。
第二次産業革命は、各国の経済政策とも深く結びついていました。各国は産業の発展を促すために積極的な介入を行い、経済成長を後押ししました。
アメリカやドイツなどの新興工業国は、自国の産業を守るために高い関税を設定し、外国製品の流入を制限しました。この政策により、国内産業が発展し、鉄鋼や化学といった分野が急成長しました。一方で、自由貿易を推進していたイギリスは、競争が激化する中で徐々に経済的な優位性を失っていきました。
産業の発展に伴い、各国は資源の確保と市場の拡大を求めて帝国主義政策を推し進めました。特に、鉄道の発展により、遠方の植民地からの資源輸送が容易になり、工業化がさらに加速しました。この植民地経営をめぐる競争が、のちの第一次世界大戦の背景の一つにもなっていきます。
第二次産業革命が起こった原因として、技術革新、資本主義の発展、国家の政策という三つの要因が挙げられます。電気や石油、鉄鋼、化学といった新技術が生まれ、企業の巨大化と大量生産が進みました。また、各国は保護貿易や植民地経営を推進し、産業の成長を支えました。
こうしてみると、第二次産業革命は単なる技術の発展ではなく、経済、社会、政治を大きく変え、現代社会の基盤を築く転換点だったといえるでしょう。