
種まき機/ジェスロ・タル(1674 - 1741)
条播で種を均一にまき発芽率と収量を向上させる機械。囲い込みやノーフォーク式輪作と並び、農業革命を進めて労働生産性を高め、のちの産業革命を支える食糧供給の拡大につながった。
出典: Photo by Jethro Tull / Wikimedia Commons Public domainより
産業革命を語るときに、実はその前段階として重要なのが農業革命なんです。「え?工業化と農業って関係あるの?」と思うかもしれませんが、実はガッチリ結びついています。農業が変わったからこそ人口が増え、人手が都市へ流れ、工場が動き出した──そんな流れがあったんです。この記事では、その関係をわかりやすくかみ砕いて解説します。
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まずは産業革命に先立って起きた農業革命とはどんなものだったのかを見てみましょう。ここでの工夫が産業社会を生む土台になりました。
イギリスではエンクロージャー(囲い込み)が進みました。共有地が地主に取り込まれ、大規模な農場が形成されます。これにより効率的な農業ができるようになり、生産性は上がりましたが、小作農は土地を失って都市へ流れていきました。この人口移動が工場労働力を生むことになったのです。
クローバーやカブなどを組み合わせた輪栽式農法が広まり、土地の疲弊を防ぎながら収穫量を増やせるようになりました。農業の効率化は安定した食糧供給を生み出し、人口増加を支えました。
種まき機を考案したジェスロ・タル(1674 - 1741)のような人々の工夫も革命的でした。均一に種をまける仕組みで作業効率が大幅にアップ。農業の合理化が本格的に進みました。
次に、農業革命によって増えた食糧と人口が、どう産業革命へつながったのかを見てみましょう。
農業革命で収穫量が増えたことで飢饉のリスクが減り、人々の生活は安定しました。安定した食事が人口増加を後押しし、産業社会を支える基盤ができたんです。
人口が増えると農村には人が余るようになり、多くが都市へ移住。工場の労働者として働く人材が大量に生まれました。つまり農業革命は、産業革命のための労働力供給システムでもあったんです。
人口増加はただの数字の話ではなく、「モノを欲しがる人」が増えるということ。布や食器、住居など、ありとあらゆる需要が拡大し、工業化の引き金となりました。
最後に、農業革命と産業革命の関係を「双方向の流れ」として見てみましょう。どちらか一方が主役なのではなく、互いに影響し合いながら近代社会を形づくっていったのです。
農業革命によって生産効率が高まり、農村には余剰人口が生まれました。農地にとどまれなくなった人々は都市へ移り、工場の労働力として働き始めたのです。
さらに安定した食糧供給があったからこそ、多くの工場労働者を養うことができました。つまり農業の発展がなければ、工業化は成り立たなかったということです。
逆に工業化が進むと、農業の姿も大きく変わりました。鉄製の農具や蒸気機関を利用した脱穀機などが登場し、従来よりもはるかに効率的に作業ができるようになったのです。
こうした技術革新は農業を近代化へと導きました。農業と工業は切り離せない関係にあり、互いに刺激し合いながら進歩していったのです。
農業から工業への転換は、単に経済の形を変えただけではありません。社会全体の構造にまで影響を与え、人々の暮らし方そのものを塗り替えました。
農村から都市へ人が流れていく動きは、近代化の象徴でした。そしてこの人口移動こそが産業革命の推進力となり、新しい時代を切り開いたのです。
こうして見ると、農業革命と産業革命は「別物」じゃなく、しっかりつながった流れだったんですね。
食糧増産が人口を増やし、その人々が都市で働き、工業が発展する──この循環が近代社会のスタートラインでした。
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