
『ストライキ』(1886)に見る労働者と資本家の対立
賃上げや労働条件をめぐり労働者の群衆と経営側が門前で対峙する場面を描いた絵画。工場制機械工業の拡大で利害が衝突し、労働争議が社会問題化した時代の空気が伝わる。
出典: Photo by Robert Koehler / Wikimedia Commons Public domainより
産業革命の後、世界はグングン便利になっていった一方で、人々の間には大きな分断が生まれました。それが労働者と資本家の対立です。片や機械を動かし汗を流す人たち、片や工場や資金を握り利益を得る人たち。お互いに必要としながらも、いつもギスギスした関係になっていったんですね。
「なぜそんなにぶつかったの?」と思うかもしれません。答えはシンプルで、利益をめぐる取り分の不公平にありました。この記事では、「なぜ対立が生まれたのか」「どんな行動が起こったのか」「そこから何が変わったのか」を3つの視点から解説していきます。
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まずは、なぜ労働者と資本家が対立するようになったのか、その根っこを探っていきましょう。
工場ではたくさんの人を安く雇って長時間働かせるのが当たり前でした。機械が効率よく動くように、人間は「交換可能な部品」のように扱われたんです。その結果、資本家は儲かるけど労働者は生活ギリギリという構図が生まれました。
暗くて狭い炭鉱や、危険だらけの工場。事故で命を落とす人も少なくありませんでした。ところが資本家にとっては「効率」や「生産性」が優先され、安全対策は後回し。働く人の健康や命より利益が大事とされていたんです。
工業化が進むほど、資本家はさらに豊かになり、豪邸やぜいたくな暮らしを楽しみます。一方で労働者はスラムに押し込められ、衛生も悪い暮らしぶり。両者の間には目に見える「壁」が立ちはだかっていました。
次に、そんな不公平な状況に耐えきれなくなった労働者たちが、どんな行動を起こしたのかを見ていきましょう。
労働者が資本家に立ち向かう手段として登場したのがストライキです。仕事を一斉に止めて「賃金を上げろ!」「労働時間を短くしろ!」と訴える。これはまさに沈黙の抵抗ではなく、団結による大きな叫びでした。
個人の声は小さくても、集まれば大きな力になる。そこで生まれたのが労働組合です。仲間と協力して資本家に交渉することで、初めて対等に近い立場を築こうとしたんです。
不満は工場の中だけにとどまらず、政治や社会を動かすエネルギーにもなりました。議会で労働者の権利を訴える人が現れたり、新聞で問題を取り上げたり。労働者の声が社会を揺るがすようになっていったのです。
最後に、この労働者と資本家のぶつかり合いが、どんな変化を社会にもたらしたのかをまとめましょう。
やがて政府も重い腰を上げ、工場法などの法律を整え始めました。子どもの労働時間を制限したり、大人の労働時間を短くしたり。法の下で守られる仕組みがようやく形になっていきました。
資本家と労働者の格差を是正するために、社会主義思想が力を持ち始めました。「みんなで富を分け合おう」という考え方は、やがて国際的な運動へと発展していきます。
皮肉にも、対立を繰り返す中で資本主義社会はだんだん成熟していきました。労働者をないがしろにすると社会が不安定になると学んだ資本家や政府は、少しずつ歩み寄るようになったのです。
こうして見ると、労働者と資本家の対立は「争い」そのものが目的ではなく、社会をより公平に近づけるためのプロセスだったとも言えます。ストライキや組合活動は、今の私たちが当たり前に思う労働条件をつくる土台となりました。産業革命は便利さと格差の両方を生み出した時代であり、その中で人々がどう戦ったかが、現代社会にまでつながっているんですね。
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