
産業革命は18世紀半ばにイギリスで始まり、その後、ヨーロッパ大陸、アメリカ、アジアへと広がっていきました。ただし、各国で産業革命が起こった時期や進行のスピードには違いがあり、社会や経済の変化もそれぞれ異なります。
では、どの国がどの順番で産業革命を迎えたのか、詳しく見ていきましょう。
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イギリスは1750年頃から産業革命を開始し、世界で最も早く工業化を進めた国となりました。
ジェームズ・ワット(1736-1819)による蒸気機関の改良(1769年)が、産業革命を加速させました。これにより、綿織物の大量生産が可能となり、イギリスは「世界の工場」と呼ばれるようになりました。
19世紀初頭には鉄道や製鉄業が発展し、工業製品の生産量が飛躍的に増加しました。1830年には世界初の鉄道(リバプール〜マンチェスター間)が開通し、物流の効率が大幅に向上しました。
イギリスに続き、ヨーロッパ大陸の国々が産業革命を迎えましたが、それぞれ進行のスピードに差がありました。
ベルギーはヨーロッパ大陸で最も早く工業化を進めた国です。19世紀前半には鉄鋼業と繊維産業が発展し、1835年には大陸初の鉄道が開通しました。
フランスでは、産業革命はイギリスより遅れて進行しました。なぜなら、フランスは農業大国であり、工業化への移行が緩やかだったからです。しかし、19世紀後半には鉄道整備が進み、機械工業も発展しました。
ドイツの工業化は遅れましたが、1871年のドイツ統一以降、急速に進みました。特に鉄鋼業・化学工業が発展し、19世紀末にはイギリスに匹敵する工業国となりました。
アメリカでは、産業革命は1820年代から始まりました。広大な国土と豊富な資源を活かし、急速に工業化が進みました。
19世紀後半、ヘンリー・フォードが流れ作業方式を開発し、自動車などの大量生産が可能になりました。これにより、アメリカは世界最大の工業国へと成長しました。
1869年には大陸横断鉄道が開通し、国土全体がつながりました。また、石油産業が発展し、工業の発展をさらに加速させました。
アジアでは、日本が最も早く産業革命を迎えました。一方、ロシアは産業化が遅れ、西欧諸国との差が広がることになりました。
明治維新(1868年)を契機に、日本は政府主導で工業化を進めました。
ロシアの産業革命は19世紀後半に本格化しましたが、進行は遅れました。
しかし、ロシアの工業化は主に政府主導の軍需産業に偏っており、イギリスやドイツのような本格的な産業革命とは異なりました。
産業革命はイギリス(18世紀半ば)を出発点に、ヨーロッパ大陸、アメリカ、日本、ロシアへと広がっていきました。
イギリスが最初に工業化し、続いてベルギー、フランス、ドイツが19世紀前半に産業革命を迎えました。アメリカでは19世紀前半から工業化が進み、19世紀後半には大量生産方式を確立しました。日本は明治維新後、政府主導で急速に工業化し、アジア初の産業革命を達成しました。一方で、ロシアは工業化が遅れ、完全な産業革命には至りませんでした。
こうしてみると、産業革命の広がり方は国ごとに異なり、それぞれの政治・社会・経済状況によって大きな差が生まれたことがわかります。